若者は選挙に行かないせいで4000万円損をしてる!?

若者は選挙に行かないせいで4000万円損をしてる!?

2009.08.07 06:35 by mio [ 1,800 views ]

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若者は選挙に行かないせいで4000万円損をしてる

この本、面白かったです。4000万円損しているかどうか、損なのかどうか、よく分かりませんが、日本の民主主義の仕組みや、国会議員、官僚、特別利益団体、有権者の4者の関係がどういうものなのか、なぜ有権者は政治に関して無知なのか、ということが書かれていた。

賢い人ほど選挙に行かない「合理的棄権説」や、賢い人ほど政治に無関心であるという「合理的無知説」など、面白かった。

1票の重さは大したことないし、そんなことのために選挙行ってもしょうがないとか、数年に一度しかない選挙のために政治に関する膨大な知識を習得するより、仕事に関する知識の習得に時間を割いた方が良いとか、そういう判断だ。多かれ少なかれ、それは当たっていると思う。

ただ、それでも選挙に行った方が良いんだと筆者が言うのは、選挙に行かないと、その人の存在、考えが国会議員に無視されるからだという。国会議員は国民のために法律を作ったり変えたりするというのが建前だが、実際は自分に投票してくれる人のために働いている。だから、投票に行かないという時点で、その人は無視される。確かに、1票の重さは数十万票のうちの1票だったり、とても軽いけれど、それでも、俺たちは見てるぞ!というアピールはした方がいいということ。


世代別の投票率

(2005年選挙、総務省調べ)

総務省の調査によると、若い世代(20代)の投票率は30%台らしく、60代の半分程度。異様に低いですね。こんな状態では、立候補者が若者を無視するのも仕方ないかもしれない。候補者的には、「だって若い人、投票すらしてくれないもん。」という感じですね。

ところで、民主党、自民党ともに、すごい子育て支援の政策を立てているけど、あんなことして国の借金は増えないのだろうか、と、とても疑問です。貰えるものは貰うんだろうけど、別に借金してお金貰ってもしょうがない気がする。借金して子育てして、その子供がその借金を返済に苦しむというのは、変だよね。そうはならないと政治家は言うけど、生まれた瞬間に600万円の借金を背負ってくる日本の子供にこれ以上の借金を負わせないようにできないものなんだろうか。

ちなみに、筆者は、自民党は長い間政権を担当しすぎで特別利益団体と癒着しまくりだし、首相を変えすぎで官僚からも上手いようにやられっぱなしだから、一回政権交代した方が良いんだと書かれていました。

あと、マニフェストなんて実行されるかどうかわからないから、あんまり見なくて良いと書いあったのが面白かった。それよりも前回出したマニフェストがどの程度実行されたのかを見た方が良いとのこと。自民党的には、マニフェストで未達成(未着手?)はナシ!との自己評価らしい。確か、「実行中」とか「進行中」という項目が大量にあったように思う。

今度の選挙で、どこの誰に投票するか、どの党に投票するか、悩ましいけど、とりあえず投票には行こうと思います。幸福実現党以外に投票します。

最近買ってる雑誌と、メディアについて思ふこと

最近買ってる雑誌と、メディアについて思ふこと

2009.07.04 02:00 by mio [ 1,947 views ]

Category : 思考の整理,

クーリエジャポン

最近、デザイン関係の雑誌も含めて、ほとんど雑誌を買わなくなった。たぶん、Amazonのせいで本屋に行かなくなって、コンビニに置いてある雑誌しか見ないからだと思う。そんな中、唯一たまに買うのがクーリエジャポン。これはコンビニに置いてある。初めて買ったのはオバマが大統領になったときに出たオバマ特集のもので、それが面白くて、それ以来たまに買っている。

この雑誌は、世界中の新聞やら雑誌やらの記事を翻訳・編集して作られてる雑誌。毎回何かのテーマがあって、そのテーマに関して、世界中の記事が日本語で読めるという感じ。

普段テレビや新聞、ネットのニュースも含め、ほとんどが、日本、欧米、中国、韓国のメディアが報じている内容ばかりだけど、この雑誌だと、たとえばインドがオバマ大統領に何を期待しているのか、とか、ケニアがオバマ大統領に何を期待しているのか、ということが読めたりする。インドが、ケニアが、と、まとめてしまうのはよくないかもしれないけど、現地のメディアに携わる人が考えていることが分かるのは面白い。ケニアのイースト・アフリカンというメディア(雑誌?)は、オバマの途上国支援に注目していたり、イギリスのスペクテイターという保守系誌(雑誌?)は、オバマは「第二のブレア」になり下がるだろうとコキおろされていたり、そのころ日本ではわりとオバマ歓迎ムードだったわけだけど、見る人が違えばこうも世界は違って見えるんだなとか、自分の国の国益をみんな考えてるもんだなと分かったり、いろいろ分かって面白い。

そういうわけで、ときどきこの雑誌を買っている。

今日、スタジオ・ボイス、Esquireが休刊と知って少し驚いたのですが、そういえば最近買ってなかったなあと思った。上にある、クーリエジャポンの今回の特集も「サヨナラ、新聞」なわけで。新聞&雑誌&テレビは、ずいぶん前から死の宣告を受けまくりで、去年ぐらいから(?)アメリカの新聞がヤバイということになってからますますそれが加熱している感がある。「おまえはもう死んでいる」だとか「ROCK IS DEAD」とか、死の宣告をしたがる人が多いのは何なんだろうと不思議でもある。まあ、既得権益的な臭いがするものが皆嫌いなんだろうねえ。

先日、中川淳一郎という人の「ウェブはバカと暇人のもの」という本を読んだ。この本の著者は、オンライン・メディアの編集をやってるみたいで、心ないネットの住人と毎日闘って、ほとほと疲れ果てているようだった。ネット界の暇人達がいかに厄介で稚拙でアホかが詳しく書かれていて、なんだかんだテレビの影響力はすごいとか、ブログやSNSは一般人のどうでもいい日常の塊だとか、素人が何をやっても素人だとか、双方向というのは厄介とか、ネットでの発言は自由なようで実に不自由とか、一般人とそれを相手にする企業の現実はこんなもんですよ、という事が書かれてあった。

その中で、オーマイニュースという「市民みんなが記者だ」というコンセプトのもと、韓国で生まれたニュースサイトがあって、それが日本に上陸したが、大失敗に終わったという話があった。市民記者のプロ意識のなさやら、「権力を批判すればいいんだろ」的なところで思考がストップしてしまっていたり、つまらない内容が多かったらしく、そういうこともあって、コメント欄が荒れまくった結果、サイト閉鎖になったそうだ。

今の新聞という形態がなくなったとしても、今新聞記者が必死にやっている仕事にはニーズがあるから、それがうまく換金されるシステムさえあればいいわけで、別に、今の新聞という形態がなくなったりはするかもしれないけど、記者という仕事がなくなることはないんじゃないかなと思う。

合理的に考えると、ある情報が紙にかかれていようが、電波で飛んできたのをテレビで受信しようが、インターネットで読もうが、なんだって良い。それぞれに特徴があって、一長一短で、情報の質に応じてそれらを使い分ければいいだけの話。インターネットがテレビや雑誌や新聞が持つ既得権益を駆逐して、もっとフラットな世界がやってくるんだ!というような話は昔からあるけど、僕は最近あまりそう思わなくなった。(少しは思ってるけど。笑)

ここ数年で思ったのは、インターネット上にも既得権益的なものは生まれてきているし、結局お金を儲けるためには、そういう楽して儲かるシステムを作るのが一番良いから、ネットの世界でも、今後ますます既得権益的なものが巨大化していくと思う。たとえば、グーグル、Yahoo、Amazon、mixi、Apple、色々あるけど、下手をすると、テレビなんかよりももっと凶悪なシステムになりかねないとも思う。まあ、日々の生活を便利にしてくれたり楽しくしてくれたりする分には全然儲けてくれたらいんだけど。別にテレビ=悪でもないしね。

ということで、話がそれましたが、クーリエジャポンは面白いなあということでした。ま、どっちかというと、「世界で起こっている事」を知っているのがステータスな、男子向けな雑誌ですな。
(ニヤリ)

孤独、小説、言葉

孤独、小説、言葉

2009.01.31 04:46 by mio [ 3,286 views ]

Category : コトバ, 思考の整理,

去年の暮に、
新田次郎の 「孤高の人」 という小説を読んだ。

もしかすると、一人というのは、
自分との対話がある限りは、
それは完全な孤独ではないのかもしれない。

なんて思った。


大学生のころは、小説をほとんど読まなかった。小説なんて読んでも役に立たなさそうだとか、何の知識も増えないとか、そんな風に思っていたような気がする。けど、ここ1~2年ぐらいで、少し読むようになった。


夏目漱石の「三四郎」や「それから」なんかを読んだのがきっかけかもしれない。100年近くも前に、よくもまあ、今この時代に読んでも古いと感じないようなものが書けたなと思う。現代人のかかえる悩み事がここに全部書かれてるんじゃないかと思うぐらい鋭くて、話自体も面白いし、哲学的だったりする。僕は勝手に、夏目漱石のことを、日本文学界のビートルズだと思っている。ビートルズは人じゃないけど(笑)

この前、寺田氏にかりた、保坂和志の、「季節の記憶」も良かった。
保坂さんのエッセイやらを読んでいると、言葉で何かを表現することにとても気をつかっているようで、彼が書いた小説を「良かった」の一言で片付けてしまうのは、心苦しいというか、恐れ多いというか、そういう気分になってしまったりもするのだが、中途半端に説明するのも逆に良くないのかなと思ったり、そういうのも含めて面白い。


先月、水村美苗の「日本語が滅びるとき」という本を読んだ。これからは英語の世紀となるが、それはどういうことなのか、そういう状況の中で日本語はどうなっていくのか、日本語教育はどうすればいいのか、といったことが書かれていたように思う。読んでいて、その国の言語でしか表現できないこと、というのがあるんだなと改めて思った。それは面白い。

普段、自分が話している日本語について深く考えることはあまりないが、小説家だったり編集者だったり記者だったり、言葉にこだわって仕事をしている人が言っている事を聞くと、言葉の意味だとか使い方だとか選択だとか、そういうことを物凄く意識していて、それが面白いなあと思う。例えば、国語辞典は何種類も持ってて使い分けているとか、そういうのを聞くと面白すぎて興奮してしまう。ここ1~2ヶ月は言葉について考えさせられることが多かったなあ。

収納に関する、僕の無知

収納に関する、僕の無知

2008.04.15 04:05 by mio [ 1,241 views ]

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最近、収納にハマっています。


タニアのドイツ式部屋づくり
という本を買いました。

タニアのドイツ式部屋づくり

主婦の人が読みそうな本ですが、男が読んでも面白い。
ドイツ人の母親を持つ門倉タニアさんという人が書いた本で、
収納のコツとか、モノを捨てるコツとか、
部屋をスッキリさせるための色んな知恵が書かれています。

この本の中で僕にとって一番衝撃だったのは、
「部屋をすっきりさせるコツは、すべてのものに収納場所をつくること。」
というこの一文です。

考えてみれば、当たり前のことなのですが、
収納に対して、モノが多すぎる、っていう、
こんなにも単純なことに、今まで気づいていなかった(笑



あと、散らかる原因として、
収納場所があっても元に戻すのが面倒というパターン。
これに関しては、

「モノを使う場所と、それを収納する場所を、できる限り近づけること」

が大切だそうです。

これも当たり前っちゃ当たり前なんですが、
たとえば僕の場合、リビングで筆記用具を使ったあとに、
その道具を仕事用の作業机まで持っていくのが面倒で、
リビングのテーブルに散らかしてたのですが、
リビングのテーブルにもペン立てを置くことで
とてもスッキリしました。
大発見。



最後は、捨てること。
これ、最近使ってねえな、この本はもう読まねえな、
というものは、どんどん「処分箱」に入れる。
日々、処分箱に、処分候補を放り込む。
で、あとでまとめて、誰かにあげるなり売るなり捨てるなりする。
という、パソコンのゴミ箱の完全消去前みたいな箱を作るのがいいみたい。
これは楽しいです。

いきなりヒモでくくって捨てようとするときって、
これ本当に捨ててよかったっけ?と、凄く悩んで、
挙句の果てには、ちょっとしたタイムトラベルにでかけてしまいますが、
処分箱に一定期間保管して、捨てるまでにワンクッション置くと、
捨てるまでの心の整理がつき易い、というのが面白い。

あと、雑誌は資料として、本当に必要なものを除いて、他は全部捨てる。
新しい情報を知ることが目的であれば、
必要なときにまた新しい雑誌を買えば良いとあり、
言われてみればそうだなと思いました。
雑誌を捨てる基準は、棚に入るか入らないか。
入らなくなったら捨てる。



以上、まとめると

1.すべてのものに収納場所をつくる
2.モノを使う場所と、それを収納する場所を、できる限り近づける
3.いらないモノはとりあえず処分箱にまとめて、時間のあるときに捨てる。

他にも色々ありましたが、
主要なのは上記3点かな。

あとは、収納術とは少し違いますが、
家具はなかなか捨てられるもんじゃないから、
慎重に選べというのもそうだなと思いました。

余計なものばかり持ってしまっているような気がする昨今、
ドイツ人の知恵をかりて、部屋も心もスッキリしたいところです。

批評とは

批評とは

2007.10.27 09:47 by mio [ 1,653 views ]

Category : コトバ,

小林秀雄の「考えるヒント」、他の本に浮気したりもしつつ、まだ全部読んでないのですが、「批評」というタイトルの章があり、良い定義というか、良い考えだなと思ったので、後でまた噛み締められるよう、メモしておきます。他にも、序盤の、”プラトンの「国家」”という章など、メモをとっておきたくなるようなところがたくさんあった。彼が書く文章は、とても知的で、何処となく、やさしい人間性が溢れ出ているところがいいと思った。


自分の仕事の具体例を顧ると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものではない事に、はっきりと気付く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。

中略

批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を言う退屈を、非難否定の働きの非生産性を、よく承知しているはずなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張というものがあるからだろう。主張するためには、非難もやむを得ない、というわけだろう。文学界でも、論戦が相変らず盛んだが、大体において、非難的主張あるいは主張的非難の形を取っているのが普通である。そういうものが、みな無意味だと言うのではないが、論戦の盛行は、必ずしも批評精神の旺盛を証するものではない。むしろその混乱を証する、という点に注意したいまでだ。

中略

批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ。

考えるヒント (小林秀雄) P200



小林秀雄・サバイヴ・はてな?

小林秀雄・サバイヴ・はてな?

2007.09.12 02:32 by mio [ 1,091 views ]

Category : 思考の整理,

最近、電車の中で、小林秀雄という批評家の「考えるヒント」という本を読んでいる。

まだ、全部読んでないし、どこから読んでもいい本なので、ぱらぱらと読んでいるのですが、これは面白いです。これを読むと、批評家ってかっこいいなと単純に思っちゃいます。特にこの人の言葉はかっこいい。まだ、読んでいる途中な上に、最近忙しいので感想なんかは、後日(数週間後)にでも書こうと思います。

ところで、僕が気になっているのは、小林秀雄に関する記述を最近色んなところで見るということ、この本を買ったきっかけは、村上龍の本の中で、小林の言葉が紹介されていて、その言葉が気に入ったからなんですが、小林秀雄に注目し始めると、結構いろんな人が、たとえば、ウェブ進化論の梅田さんやら、なんやらが書いていたり、なんでそんなに参照されてるんだろうと思っています。それだけ凄い人だったんだろうけど、知識人と言われる人たちがよく参照する雰囲気があるので、何がどんだけ凄いのか、計れるもんじゃないですが気になっています。

話は少し変わりますが、最近「サバイヴする」という言葉をよく聞きます。これも、村上龍やら、梅田さんやら、茂木さんやら、プロ論という本に出てきそうな人たちが口をそろえていうキーワードなわけですが、この「サバイヴ」するという言葉を使う人と、小林秀雄を参照する人というのは被ってるんじゃないかと思ってます。個人主義な人達というか。僕も最初「サバイヴしなければならないから云々」という言葉を見たときは、「俺もサバイヴしないと」なんて思ったりもしましたが、こうも「サバイヴ」という言葉を目にするようになると、逆に「あれ、あなたもサバイヴですか?」なんて思ってしまう。サバイヴしてる人が増えてるってことなんでしょうか。それだけ、生かされてる感が薄れてきていて、生きなきゃ感が増しているんでしょう。

いろんな人が口を開く世の中になったから、似たような言葉が蔓延するようになっているのだろうか。もちろん、全員が違うものを参照し、全員が違うことを言う世の中もありえないので、別に取り立てて、言うほどのことでもないのだろうか。多くの人が言っている言葉、多くの人が参照する人だから、それは正しい、或いは何かヒントのようなものがそこにあるのか、よく分からない。どんなに賢い人達でも、一見時代を動かしているように見える人達でも、結局は時代に翻弄されて生きているんだろうか。

個人主義、リスクの個人化、ネットワーク化(人・モノ・情報)、アフェリエイト(提携)、サバイヴ、格差、フラット化、動物化

色々つながってるみたい。

団塊と格差社会

団塊と格差社会

2007.08.30 01:41 by mio [ 1,164 views ]

Category : 思考の整理,

大学生のころ、大学の教授なんかで、「最近の若者は、元気がない、やる気がない、勢いがない」みたいなことを言う人たちが良くいた。そういう発言を聞くと、学生ながらに、腹が立った。そういうのもあってか、「団塊の世代」だとか「格差」だとか、そういうテーマに興味を持つようになった。自分の親の世代や、自分の世代を教育してきた人間達が何をしてきたのか、が気になる。今は、別にもう腹が立つとかはないけど。

今、山田昌弘氏の「希望格差社会」という本を読んでいる。
まだ、全部読んでないのだが、全部読んでから、まとめる必要もないかなと思い、読みながらメモを取っていくことにした。
(緊張型頭痛はだいぶおさまりました。まだ、完璧じゃないっぽいけど。)


■高度経済成長期のまとめ

高度経済成長期の生活には、
①職業領域においては、「企業の男性雇用の安定と収入の増加」
②家族領域においては、「サラリーマン―専業主婦型家族の安定と生活水準の向上」
③教育領域においては、「学校教育の職業振り分け機能の成功と学歴上昇」
という要素があった。
その要素により、生活の安定と向上が保証されていたのである。

中略

経済の高度成長期には、職業、家族、教育の領域は、ローリスクで安定していただけでなく、「成長」していた。仕事に就いていれば収入は伸び、家族を形成すればその生活は豊かになり、子供の学歴は上昇した。つまり、特別なことをしなくても、リスクを冒さなくとも、生活が豊かになったのである。それが、「格差」からくる心理的不満を和らげる効果をもっていた。

中略

経済の高度成長期における生活の安定の秘密は、ただ単に、マクロ的にみた経済成長率が高かったことに求められるのではない。「みんな一緒に豊かな生活を築くことができた」という点が重要なのである。たとえ、平均値としてみた経済成長率が高くても、貧富の差が広がっていると感じられれば、人々の不満感は高まるであろう。

中略

先進諸国では、一九九〇年代前後に、大きな経済・社会の変動が開始されたと言われている。それは、グローバリゼーションによる国際的な競争の激化をもたらし、中間集団を安定化させるコストが増大し、その結果、リスクの普遍化、リスクの個人化をもたらしたのである。


要は、高度経済成長期のころは、皆が「上を向いて」いられたから、その差が気にならなかったし、社会には安全なレールが敷かれていたけど、今はそういった安全なレールがなくなりつつあるという感じでしょうか。この本では、こういった状況を、「リスクの個人化」と呼んでいる。結婚しても離婚する可能性が高くなっている、就職しても必ずしも昇給し続けるわけではない、ある日突然会社がつぶれることもある、明日突然仕事がこなくなる可能性がある、良い大学を出たからといって一流企業に就職できるわけではない、様々なリスクがある、これをすれば安心というのはない。

後は、能力が要求される職業と、要求されない職業(マニュアルに従って働く類のもの)に二極化しつつあって、その差は埋められないものになりつつある。マニュアルに沿って働くものは、一生マニュアルに沿って働くしかなくなるし、収入もほとんどあがることはない。これからの時代は、能力が求められる時代であって、能力があるものとないものの差はどんどん開いていく時代である、といったことは色んな本に書かれているように思う。また、格差というのは子供に遺伝する、と書かれた本も多いように思う。実際そうだなと思うこともある。もし子供に何らかのモチベーションがあるならば、経済的に豊かな親を持つ子供の方が圧倒的に有利だ。

勝ち組、負け組、「結局じゃあ、あんたは誰に勝って、君は誰に負けたんだい?」というのは慰めでしかないのかもしれない。それは、身も蓋もないことだろう。要は生活が安定しているかどうか、安心できる食材で作られたご飯を食べられるか、子供を育てられるだけの収入があるか、親の介護料が払えるか、能力を持つ側と持たない側のどちらにいるか、そういうことなんじゃないか。