千利休

千利休

2009.06.08 03:28 by mio [ 1,489 views ]

Category : コトバ, 思考の整理

千利休のコトバ
「家はもらぬほど、食事は飢(うえ)ぬほどにてたる事なり。水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてゝ、仏にそなへ人にもほどこし、吾(われ)ものむ。花をたて香をたく。みな▲仏祖(ぶっそ)の行ひのあとを学ぶなり。」
▲=くの字点

お茶、好きだ。
お茶を飲むと、温泉に入ったときみたいな気分になる。

今日の産経新聞でこの言葉をみつけた。温暖化の話やら、経済危機の話やらが紋切型過ぎて、何かめんどくさい内容だと思った。(書いてる人は多分良い人だと思います。)

この記事の中にもあるけれど、「地球存亡の危機」「経済の危機」「核の脅威」だとか、世界にはたくさんの危機があるようだ。この世界の中のチリのような存在である僕はいったい何をすべきか。ということは、最近あまり考えないようになった。「世の中」や「みんな」というのが、一体、誰なのかよく分からなくなった。自分のためなら何かできる。今目の前にいる人、どういうわけか出会ってしまった人のためなら、何かできるかもしれない。それすら難しいけどね。せめて、お茶かコーヒーぐらいは出せるかなと思う。

なんか、久しぶりに考えていることを書いたなあ。

孤独、小説、言葉

孤独、小説、言葉

2009.01.31 04:46 by mio [ 3,286 views ]

Category : コトバ, 思考の整理,

去年の暮に、
新田次郎の 「孤高の人」 という小説を読んだ。

もしかすると、一人というのは、
自分との対話がある限りは、
それは完全な孤独ではないのかもしれない。

なんて思った。


大学生のころは、小説をほとんど読まなかった。小説なんて読んでも役に立たなさそうだとか、何の知識も増えないとか、そんな風に思っていたような気がする。けど、ここ1~2年ぐらいで、少し読むようになった。


夏目漱石の「三四郎」や「それから」なんかを読んだのがきっかけかもしれない。100年近くも前に、よくもまあ、今この時代に読んでも古いと感じないようなものが書けたなと思う。現代人のかかえる悩み事がここに全部書かれてるんじゃないかと思うぐらい鋭くて、話自体も面白いし、哲学的だったりする。僕は勝手に、夏目漱石のことを、日本文学界のビートルズだと思っている。ビートルズは人じゃないけど(笑)

この前、寺田氏にかりた、保坂和志の、「季節の記憶」も良かった。
保坂さんのエッセイやらを読んでいると、言葉で何かを表現することにとても気をつかっているようで、彼が書いた小説を「良かった」の一言で片付けてしまうのは、心苦しいというか、恐れ多いというか、そういう気分になってしまったりもするのだが、中途半端に説明するのも逆に良くないのかなと思ったり、そういうのも含めて面白い。


先月、水村美苗の「日本語が滅びるとき」という本を読んだ。これからは英語の世紀となるが、それはどういうことなのか、そういう状況の中で日本語はどうなっていくのか、日本語教育はどうすればいいのか、といったことが書かれていたように思う。読んでいて、その国の言語でしか表現できないこと、というのがあるんだなと改めて思った。それは面白い。

普段、自分が話している日本語について深く考えることはあまりないが、小説家だったり編集者だったり記者だったり、言葉にこだわって仕事をしている人が言っている事を聞くと、言葉の意味だとか使い方だとか選択だとか、そういうことを物凄く意識していて、それが面白いなあと思う。例えば、国語辞典は何種類も持ってて使い分けているとか、そういうのを聞くと面白すぎて興奮してしまう。ここ1~2ヶ月は言葉について考えさせられることが多かったなあ。

重複の派閥争い

重複の派閥争い

2008.05.03 03:52 by mio [ 1,273 views ]

Category : コトバ

僕はずっと「ちょうふく」だと思っていた。

けど、最近仕事の打ち合わせで
「じゅうふく」と言っている人がいた。

僕はその人が間違った読み方をするとは思えなかったので、
自分が間違ってたのか?と思った。

さっき、そのことをふと思い出して、
辞書を調べたら、
どっちの読み方も正しいとわかった。

ジャパーニーズ イズ ディフィカルト。


さて、
どちらも正しいということは分かったのだが、
よく考えてみると、
自分が重複という言葉を、口に出すときは、
どちらかの読み方を選択することになる。

「ちょうふく」か、それとも「じゅうふく」か、、
どちらを選択するか、考えなければならない。

それは、
「ちょう」と「じゅう」のどちらに肩を入れるのか
という選択だ。

僕は今までどおり「ちょうふく」と言うだろう。
今までどおりの方が慣れていて楽だし、
「重」を「ちょう」と読むあたりが、
ちょっと特殊な感じで、
そういう特殊な読み方を知っている感じが
カッコイイと思うからだ。
今まで慣れ親しんできた分、
「ちょう」に愛着もある。

んー、けど、この愛着というのは自己愛なのかもしれないし、
新しいものを受け付けるのが面倒だなあという、
怠慢な気持ちかもしれない。
まあ、自己愛も怠慢も悪くないと思うので、
特に気にしないけどね。


正しい答えは1つとは限らないとは、よく言われることだ。
けど、2つというのは、ちょっと微妙だなあ。
1つにするか、無限大にするか、どちらかの方が簡単だと思う。
まあ、面白いからいいんだけど。


あなたは、
「ちょうふく」派?それとも「じゅうふく」派?

コトバについて

コトバについて

2008.03.11 06:01 by mio [ 1,190 views ]

Category : コトバ, 思考の整理, 日記的なもの

言の葉と書いて、コトバ。
千の葉とかいて、チバ。

3段落ちは思いつかず。。。

そんな早朝。


言葉には力がある。
だからこそ、言葉の使い方は気をつけたい。
5W1Hで論理的に、とかは言いたくない。
そういうものは自分の感覚やリズムに従うのがいいんだ。
とか言っていたい。

「それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。」
という、朝日新聞のコピーがあったけど、
気持ちの悪い言葉だと思った。

確かに、言葉にはチカラがあるでしょう。
ときには、言葉のチカラで、人を殺すことだってできてしまう。
人を怒らせてしまうことだってある。
だからこそ、気をつけなきゃね。
ってことじゃないのか。

うまく言葉を紡げるようになれたらいいと思う。
そのためには、
永遠の謎であり、世界一謎な存在である、自分を知り、
永遠の謎であり、世界一謎な存在である、相手を理解しようと、
つとめないといけないみたい。

そもそも、言葉を知っていなければいけない。
ボキャブラリーや、テクニックというやつ。
こういうのはとても重要だと思う。

言葉を使うとき、いつも頭を使う。
自分の感覚や、その場にいる人の感覚に意識的でありたい。
言葉をうまく使えると、自分の気持ちがとてもよくなる。

気持ちが言葉を生み出すこともあれば、
言葉が気持ちを生み出すこともあるんじゃないか。


ところで、
村上龍の「すべての男は消耗品である」というシリーズの本に、
「明日できることは今日はしない」
という副題が付いているものがあるんだけれど、
その言葉は僕にとても影響を与えているみたい。

確定申告、まだしてません。

今日こそやりますよ。やります。やります。

と思いつつ、夜も更けて、朝日が昇って参りました。
グッドモーニング
新千葉

新しい千の葉とかいて、シンチバ。
もうすぐ春ですな。

批評とは

批評とは

2007.10.27 09:47 by mio [ 1,653 views ]

Category : コトバ,

小林秀雄の「考えるヒント」、他の本に浮気したりもしつつ、まだ全部読んでないのですが、「批評」というタイトルの章があり、良い定義というか、良い考えだなと思ったので、後でまた噛み締められるよう、メモしておきます。他にも、序盤の、”プラトンの「国家」”という章など、メモをとっておきたくなるようなところがたくさんあった。彼が書く文章は、とても知的で、何処となく、やさしい人間性が溢れ出ているところがいいと思った。


自分の仕事の具体例を顧ると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものではない事に、はっきりと気付く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。

中略

批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を言う退屈を、非難否定の働きの非生産性を、よく承知しているはずなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張というものがあるからだろう。主張するためには、非難もやむを得ない、というわけだろう。文学界でも、論戦が相変らず盛んだが、大体において、非難的主張あるいは主張的非難の形を取っているのが普通である。そういうものが、みな無意味だと言うのではないが、論戦の盛行は、必ずしも批評精神の旺盛を証するものではない。むしろその混乱を証する、という点に注意したいまでだ。

中略

批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ。

考えるヒント (小林秀雄) P200



ジョン・ケージ

ジョン・ケージ

2007.09.17 03:44 by mio [ 1,111 views ]

Category : コトバ

「人が新しいアイデアを恐れる理由が、私には理解できない。古いアイデアのほうが、私は怖い」

というジョン・ケージのこの言葉が好きだ。

何かを考えること、特に何かアイデアを出すということは、自分の思考の未踏領域に踏み出すということだ。それにはちょっとエネルギーが必要だけど、とても快感だと思う。社会が作った枠も、自分で作ってしまった枠も、常にぶっ壊して生きていたい。結構つらいし、なかなか壊せないけど、それでもそうありたい。自由であることが好きだ。


そういえば、ライブとかしていると、たまに「いつもどんな音楽を聴いているのか?どんなのが好きなのか?」と聞かれることがあって、いつも結構答えに悩む。多分最近Napsterでばかり音楽を聴いていて、あまり同じ曲を何度も聴かなくなったのが影響しているのかもしれない。今もNapsterでジョンケージの色んなアルバムを聴いているけど、僕が死ぬまでの間にあと何回ジョンケージを聴くかは分からない。けど、答えがあると便利なので、今度から、同じ質問をされたら「ジョン・ケージ」って即答しようかなぁ。

好きな食べ物は何?と聴かれて「チョコレート」と答えてきたみたいに。
本当は、ナスとか、トマトとか、オクラも大好きだ!!

それにしても、
Complete Short Works For Prepared Piano
というアルバムで、
John Cageとともに、演奏している、Philipp Vandreという人が気になる。
ネットで検索しても情報があまりないけど何なんだろう。
ジョンケージのPrepared Pianoで演奏した人っちゅうことかな。
結構いい感じの演奏です。

可能無限と空白

可能無限と空白

2007.08.06 01:14 by mio [ 1,445 views ]

Category : コトバ

もともと数学用語で、自然数を1,2,3・・・・・と数えていったときに、どんな大きな数(n)を考えてみても、さらに大きな数(n+1)を、可能性としてどこまでも提示できるということ。可能無限は、「もうひとつ増やす余地がある」という意味での「空白」によって支えられている。

茂木健一郎 
フューチャリスト宣言 p156

可能無限と実無限


相変わらず、無、空、空白、余白、空洞、そういったものが気になっている。
本や誰かの言葉を、ブログにピックアップするという行為は、「チョイス」だ。
人が発する言葉には、自分には思いもよらないものが多々ある。
それを拾って食べてみる。
ブログに書いたほうが消化が良いと思う。