ジャガ・パセリ・瀕死
実は、僕が育てていたのは、ジャガイモだけではない。
というか、ジャガイモよりも先にパセリの苗を買ってきてそれを育てていた。
パセリは非常に優秀であった。
パセリは次から次へとその中心から新芽を出し、
僕が料理するパスタのど真ん中にいつも添えられ、
パスタの見栄えを良くするという大役をこなしていた。
どんなパスタでも、その中央に粉チーズをまぶし、
荒挽き胡椒で匂いをごまかし、そこに緑色のパセリを置けば、
その色の鮮やかさやスパイシーなほのかな香りのおかげで、
5割り増しぐらいは美味く見えるものである。
そんな優秀なパセリがである。
先週末の名古屋京都のライブから帰り、
ベランダの窓をあけたら、瀕死の状態に陥っていた。
ほぼすべての葉が、力なくダラーンと垂れ下がり、
葉の色は以前のような鮮やかさを失っていた。
暑さの犠牲者はそれだけではない、
僕が手塩にかけて育ててきた、
ジャガイモの「公爵」もその体の半分ぐらいが、
黄色く変色しており、
使えなくなった枝の切断をせざるをえない状況であった。
まるで地獄絵図である。
夜行バスで帰ってきた僕もまた、ある意味瀕死の状態ではあったが、
どこの親が瀕死の子供たちを見捨てることができるだろうか。
自分の命をなげうってでも子供の命を守らねばならぬ。
それが生命体にとって自然な行動であろう。
それから必死の応急処置が始まった。
もう枯れてしまった枝をなくなく切り落とし、
水をたっぷりやり、土を加え、鉢の位置を調整してやった。
もう少し日陰においてやればよかったなどと後悔もした。
しかし、枯れた葉が元に戻ることはないだろう。
僕は彼らが持つ根の生命力に期待するしかない。
根さえ生きていれば大丈夫なはずだ。
そう信じるしかない。
時間は二度と戻らない。
たとえ状況が絶望的であったとしても、
希望を捨ててはいけない。
今自分がやれることをやるのだ。
少しでもやれることがあれば、それをやればいいのだ。
そして、パセリよ、後はおまえ次第だ。