Twitter 考察 : データの構造と、そのコミュニケーション
ここ1年で日本でも急に流行り始めたTwitterについて、自分なりに考えを一度まとめておくことにする。
いろんな人のTwitter論のまとめは、Twitter社会論とか、コチラのリンクが参考になるかと。どう使うのがお得かとか、どう使うのが楽しいかとか、そういうことも色々な人が色々書かれていますが、今回はTwitterのデータの持ち方、構造、と、その結果何がどうなったか、という点について考察したいと思います。他の人が書いていることと重複する部分も多々あると思いますが、一応自分なりの整理ということでまとめておきます。
データの構造
・つぶやき (自分のID、140文字 + タイムスタンプ)
・ユーザの情報 (自分のID、URL、簡単な自己紹介、パスワードその他、誰を follow しているかというデータ)
・List機能 (自分のID、リスト名称、タイムスタンプ、プライベートorパブリック)
・公式ReTweet (自分のID、コメントのID、他人のID、タイムスタンプ)
・ダイレクトメッセージ(自分のID、メッセージ、他人のID、タイムスタンプ)
データの表示の仕組み
・自分+自分がFollowしてる人
・自分のみ
・特定の人のみ
・Listに含まれるユーザのみ
・ハッシュタグのみ
・新着順にコメントを表示 ※新着順以外には並べ替えられない
その他
・followの数に制限がない
140文字という入力制限が生んだもの
→ 気軽に書ける。読める。
140文字という制限があるので、ブログのように、何かをまとめなきゃ、とか情報発信しなきゃとか、そういう強迫観念にとらわれれることなく、誰かとの会話のようにして使うことも、日記のように使うことも、メモとして使うことも、全て「気軽」にできる。また、情報の送り手だけでなく、受け手においても、短い文章で気軽に読めるようになった。さらに言うと、文字数制限の枠に収まるように、情報を凝縮する小さい単位での編集作業も加わるため、情報の質が自然と高まりやすい。
→ 小ネタが大量発生し、会話だけでなく、情報ソースとしても使えるようになった
今まで、ブログの記事や、mixiに書かれなかったような、ちょとしたネタが大量に出てきた。これによって、ニュースを見なくても、誰かがつぶやいた、小ネタを見ていれば、だいたい世間で何が起こっているかが分かるようになった。たとえば、こんな面白い展覧会があるよとか、こんな面白いサイトあるよとか、この政治家の言ってること変とか。
→ 人力情報フィルタとしても機能する
影響力の強い、アンテナの感度の強い人の、小ネタを覗けるようになり、今までRSSリーダーを使って、複数のサイトを飛び回って、長い記事に目を通していた手間が、省けるようになった。感度の高い人のアンテナにひっかかった、つまりフィルタリングされた情報を取得できるようになったのが非常に大きい。新聞社のTwitterアカウントもあるので、アンチマスメディアな人の発言だけでなく、followする対象の組み合わせで、自分に必要な情報をコーディネートすることもできる。
[おまけ] 政治家も使い始めた
データの構造とはあまり関係ないが、補足的に書いておく。これは革命的なことだと思うのだけど、一部の国会議員がTwitterを始めた結果、政治の現場がなんとなく垣間見えるようにもなった。最近では、鳩山首相も始めましたね。民主党によって、選挙活動でのインターネットの利用が解禁されたそうだが、次の選挙がどうなるのか、非常に楽しみだ。
Twitter内で国会議員を検索
Twitter関係ないけどオマケ 「この開かれた政府は、オバマ政権を上回る過激なものだ。(引用)」 民主党の意図せざる革命 – 池田信夫
→ 小ネタ満載なので、人とつながりやすい
mixiもそうですが、発言の条件として、ユーザアカウントが必須なので、この人と連絡をとってみたいと思ったときに、Twitter上で簡単に連絡が取れる。ブログで、この人の書いていることが面白いと思っても、その人に対して連絡を取るときの心理的な障壁は非常に大きいですが、Twitterではそれが容易です。
mixiよりも、人とつながりやすいと思うのは、上にも書いたように、とにかく発言の回数が多く、小ネタもたくさん転がっているので、共通の話題を糸口にして、誰かのつぶやきに横から自然に参加できるチャンスが多いという点。たとえば、知らない人が「〇〇の展示が面白い!」と書いて「あ、それ僕も見てきました!」とかそういう感じで、仲良くなったりできる。後は、RTなんかしつつ、その業界(コミュニティなど)で有名な人に絶妙な距離感で(?)お近づきになれたりすることもある。
▽140文字ではできないこと
→ 長文は書けない
当たり前だが長文は書けない。一つのテーマについて詳しく何かを書いたりすることはできないので、ブログにとって代わるものではないが、今までブログやSNSの日記に書かれていたような、日々のとりとめのない事柄は、Twitterのほうに流れたと思われる。「今日は疲れた。。もう寝よう。。」とか。
発言の構造化ができない → 井戸端会議的
構造化というのは、発言同士のデータレベルでの紐付けのことで、@マークによる返信や、RTは、発言のIDによって紐付けているわけではないので、データとしての構造化はされていない。データとして構造化されていないということは、システム側でそれを構造化して表示することが困難ということである。そのため、一つのテーマを掘り下げて、様々な視点から議論しまとめていく、というようなことをするのには向いていない。とにかく、「まとめ」「整理」が苦手なのがTwitter。道端でやる井戸端会議のように、とりとめのない話を楽しむ方が、向いているだろう。
スレッドがない + 新着順でしか表示できない → 過去のことは水に流そうシステム
去年、一昨年あたりに、ブログの炎上というのが話題になった時期があったが、Twitterで炎上したという話は特に聞かない。炎上の定義は、誹謗中傷の連鎖が、雪だるま式に広がっていくこととする。多分、それはTwitterが、スレッドという概念を持たない、ということと、コメントを新着順にしか表示できないというのが原因だと思う。
→ スレッドがない = 1つの話題を一覧できない
ブログでは、特定のURLを持つ投稿に対して、その投稿への返信という形でコメントが付き、データベースの構造としても親と子供という明確な違いがあり、投稿に対する返信は、その投稿のURLにアクセスすることで一覧することができる。しかし、Twitterでは、@マークをつけることで、「人」に対して返事をできるが、特定の投稿に対してのどういう返信があったかということを、システム側では判別できず、よって特定の投稿(発言)対する返信(反応)を一覧することができない。そのため、誰かが誹謗中傷してるから、それに便乗するとか、そういう連鎖が起こりにくい。ハッシュタグを使えば、そのタグで発言を一覧することもできるが、誰かを誹謗中傷するためにハッシュタグを作るほど悪趣味な人はあまりいないと思われる。
→ スレッドがない = 発言間に上下関係がない
また、スレッドを持たないというのは、各発言の親子関係がないということであり、親子関係がないというのは、それぞれの発言の上限関係がないことともいえる。親(発信側)、子(受信側)、という明確な区切りがなく、それぞれの発言はデータ構造上は、フラットな関係であるため、ブログのように、何か発信してやがる偉そうなやつ、と、それを読まされてる(読んでやっている俺)みたいな心理的な関係も生まれにくい。とにかく、それぞれの発言は、普段の会話のようにフラットなのだ。また、ブログへのコメントは、匿名で行うことも可能だが、Twitterの場合は、必ずTwitterのアカウントが必要であり、反応する側もそれなりに自分の発言に責任をもたなければならないという心理的な作用も働く。
– 過去のことは水に流そうシステム
Twitterでは、過去のコメントを見るには画面の下のほうにある、「more」というボタンで20件ずつしか表示されないため、たとえば、1年前のつぶやきを見るのは非常に困難となっている。そのため、誰かと誰かが仮に、Twitter上で誹謗中傷合戦、何かの言い合いが発生したとしても、時間が経てばそのコメントへのアクセスは困難となり、比較的短い時間で、沈静化する。過去のことは振り返ってもしょうがないだろう、という面白いインタフェースだと思う。
ただし、Twitterの外部のサービスではそうはいかないので、Twitterの特定の発言を取り上げて、はてブや、各種ブログで炎上するということはあり得る。1年ぐらい前の話ですが、実際にウェブ進化論の梅田望夫氏のTwitterでの発言があっちこっちで炎上したこともあった。ただ、これはTwitterが今みたいに本格的に流行る直前ぐらいで、まだブログとか、Twitter以前のウェブサービスをコミュニケーションの主軸にしていた人が多かったときの話なので、もしこの発言が今月のものだったら、その日、一日梅田さんがこんなこと言ってたぞ、とTwitter上で盛り上がるだけで、3日後には忘れられる、みたいな、少し違う結果だったかもしれない。
これからのTwitterとか
あと、半年~1年ぐらいは、今の勢いで利用者が増えて盛り上がっていくと思われるが、その先はどうだろう。多分、そのうちmixiが面倒に感じてくる人が増えたように、Twitterが面倒に感じる人が増えてくるんだと思う。
mixiのようにマイミクはずしたどうだこうだ、みたいな、Followしたされないはもちろん、あの人にはこういう風に接して、この人にはこういう風に接して、みたいな顔の使い分けみたいなのもしにくい。そんなこと俺は気にせん!みたいな人や、そういうの考えるの得意という人や、そのコミュニティサイト内で自分の持つ交友範囲の特定のグループとしか接しない場合は、気にしなくてもいいんだろうけど、なんとなくで使っていると、そのうち「あ、この発言は控えよう」とか、そういうことが増えてくるような気がする。この顔の使い分け的な部分については、人間の側でそれに適応して、うまい使い方を見つけるパターンと、システム側でうまく解決できるようにするパターンとあると思うけど、次に流行るシステムは、そのあたりをシステムで上手く解決してくれるものだったりするのだろうか?
個人的にはGoogle Groupや、Google Waveのような、あるいはmixiのコミュニティ機能のような、フリーで使えるグループウェア系の決定版みたいなのが出ることを期待している。あと、全国どこでもWiFi的な速度(またはそれ以上の速度)で全員が通信できる、っていうインフラが整えば、映像系のサービスを中心にまた革命が起こるのかなあと思う。
以上。
follow制限がないこととか、List機能だとかについても触れても良かったのだろうけど、長くなりすぎるのも何だなと思ってやめました。
アラトーリ — 2010/1/21 03:13
ご無沙汰してます。
Twitterはしていないし、よくわかっていないのですが、「Twitterとは固有URLの乱造である」わけですね?
全つぶやきが、Google検索にかかるようになるのでしょうか?
そうならば「ネットは情報のデータベースである」ということが、つぶやきの量的支配によって、貴重な情報が埋もれてしまうことになってきませんか?
あるいは、それを見越して、宣伝に使われる、例えば、ある選挙候補者名と何らかの語句を組み合わせたつぶやきを連呼するとか。
量的支配性に、何か、おぞましさを感じるのですが。
mio — 2010/1/21 04:13
お久しぶりです!
そうですね、固有URLは凄い勢いで増えています。
一人当たり1年で1000回以上の投稿をすることもザラですし、URLの増加数は凄いことになっていると思います。
また、Googleの検索には、プライベート設定をしている人を除けば、すべてかかると言っていいと思います。
ただし、すべての発言が検索の上位にかかることはないと思います。Googleの検索のアルゴリズム次第ですが、機械的な投稿というのを検索エンジンの方のシステムで、ある程度識別しているようです。
貴重な情報が埋もれることについては、Twitterに限らず、ブログの時代からあるもので、例えば、気になる商品を検索したときに、その商品のレビューを見たいのに、商品を販売しているページしか出てこなかったり、と、そういうことは以前からずっとあります。ただ、ユーザの方の検索の仕方の工夫によって、そういう事が防げたりもします。たとえば、アマゾンや価格.comのページに言ってから商品名で検索するといった方法で。
量的支配、洗脳、みたいなことは、ネットに限らず、テレビ、新聞、教育、など、様々なメディアで可能ですし、インターネットの方が、昔からあるメディアに比べて、情報発信源が多い分、偏った情報の摂取は起こりにくいとも思います。
いずれにしても個々の人間が情報(メディア)に対するリテラシーを高める必要はありますね。
今年3月に京都でまた演奏すると思うので、
都合があえば、また会いましょう!
skel — 2010/1/21 04:53
>フリーで使えるグループウェア系の決定版
あー,これ,すごいほしいですねー。
いまんとこ自分の周囲はmixiのコミュニティですけど,クローズなのがどうも。。。この部分だけオープンなプラットフォームで扱えたら素晴らしいのに。
imainaoki — 2010/1/21 10:42
ええかげん、調べてみようかなと思ってたところ。
勉強なりました。ありがと
mio — 2010/1/21 16:19
> skel
そうだね~、それでもいいね。
> imai君
マニアックな解説でごめんなさい(笑)
s. — 2010/6/28 13:24
「流れて消える」ためのメディアと、書き残すためのメディアは別だったし、発信側で職能がはっきりちがってた。それがなしくずしでインターネットの上にのせられて……そこに職能を持たないひとが混じって、えらいことになってる……ぼくの印象はそんな感じ。
流れて消えるべき情報を、誰が流し去り、消し去り、忘れ去ってあげるのか……いずれ社会的に整理されていくと信じたいです。忘れることは悪いこと、劣ることではなく、社会のやさしさだったりします。価値のない図書は自然淘汰で消えることが好ましい。誰かが自分の尺度で焼き捨てるのではなく、自然に読まれなくなる。
「自然に消える情報」が、残るべき情報をカタチ作る……体験的には情報総体はそういう動作をして社会に貢献してきました。編集者、記者には「あえて取り上げない」「消えるままにしておく」という分別も「あった」のです。
ぼくが未来年表の「消える未来」の大切さ=情報価値を訴えるのもそんなことが理由です。「消える情報」に注目してみてください。
Johnd484 — 2014/7/14 21:53
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Johna620 — 2014/7/14 21:55
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