大学でどんな授業をするか。

2013.04.09 06:02 by mio [ 1,390 views ]

Category : 思考の整理

去年から、僕は、千葉大で非常勤講師として、授業をやるようになりました。
コミュニケーションデザイン演習3という、大学3年生の授業です。

1年目を引き受けたのは、やったことないし、なんか面白いかもしれないから。
という、とても安易な理由からでした。

そして、今年は2年目、6月ぐらいから、
また同じ授業をやることになっています。

1年半ぶりにブログの更新。
今日は、大学での授業のことについて、
自分の考えを外から眺める意味も込めて、ツラツラと書きたいと思います。


– 去年やったこと

基本的には「コミュニケーションデザイン」という授業の名前から
逸脱していなければ何を教える授業でもOKとは言われていたので、
タイポグラフィとかもやりたい気持ちもあったのですが、
他の先生のやってる授業とか色々考えると、
テクノロジー系の方が、良いだろうなということで、
インターネット使った何か面白いものを考えてみよう、
という非常にざっくりしたお題の授業をやりました。

大学生50人相手に、全5回、課題を出す演習の授業だったのですが、
プログラミングとか作り方だけを教えようとすると、
考えられることが、学生が「作れる範囲」に限定されそうな気もしたので、
授業では、「コミュニケーションデザインの考え方」みたいな話をしつつ、
グループに別れてもらって、企画を考えて、UI設計して、ヴィジュアルデザインして、
作りたい人、作れる人達には、モックも作ってもらって、
最後にプレゼンみたいな流れにしました。


– 作り方は教えなかった

作る部分(プログラミング)は、滅茶苦茶大事で、
作れないと意味ないし、動かないと意味ないし、、、
これ以上書くと、汚い言葉がたくさん出そうなぐらい大事なんですが、
自分が大学の頃、プログラミングは大学の授業では学ぶところがなく、
ほとんど友達から教えてもらったり、本やネットで調べてきたというのもあったり、
今のご時世、調べるためのキーワードさえ知っていれば、
ネットで調べればいくらでも学べちゃうので、
GoogleやAmazonで何で検索したら良いかだけ伝えて、
そういう道に進みたい人は勝手に進んでくれるだろうってことで、
そういうことにしました。

限られた時間の中で何を教えるか、
削る部分を決めるのは難しい。

ただ、今年の授業は、7回になったので、
1回はプログラミング(楽しい系)もやろうかと思ってます。


– 大学で何を教えたら良いのか?

何度もこの問を自分に投げかけるのですが、
未だに自信を持ってこれだという答えはないままでいます。
教えられることなんて何もない。。。とか思ったりもしたり。

ただ、何となく目指しているのは
「自分で考えること」を教えるということかなと思いました。

あとは、
「やりたいことをやろう」
とかかな。

それから、
「他人の意見に耳を傾けること」
「自分の中に他人の目線を持つこと」

去年の授業で試してみたのは、グループワークの中で、
グループのメンバーを交換して、
他のグループの人に考え中のアイデアをプレゼンしたり、
それに対して、意見を言ってもらったりしました。

多分、僕が、それぞれのグループのアイデアを聞いて、
それはこういう所が良いとか、悪いとか、言うのと同じようなことを、
他のグループから来た人は言うんじゃないかなと思ったからです。

実際、これは本当にそうで、
自分のアイデアに対しては、良いとか悪いの判断が鈍くなりがちですが、
他人のアイデアには、本当に鋭いことを言うもんだと思いました。

僕が何かアドバイスをするまでもなく、
学生同士の意見交換だけで、僕が言いそうなことはだいたい出ていた。
本当に、そういう場さえあれば、教える人とか要らないんだなと思いました。


– 「テーマ」を設けるかどうか? 自由と制約の狭間

僕は、だいぶ自由ということが好きで、
自分が何かをするときに、制約というのは、ないほうがいいというか、
「やりたいこと」というのが唯一の制約、というのが理想、
みたいなところもあるのですが、
「制約」が逆にクリエイティビティを産むみたいな話もよくあるし、
何か課題全体に「テーマ」を設けた方が良いのかなとも思ったりもしました。

もちろん、インターネットを使った何か、という。
ざっくりした縛りはありますが、テーマではない。

例えば、〇〇を解決するウェブやアプリをお願いしますとかね。

〇〇は、何でも良くて、
貧困問題でも、どこかの街づくりでも、架空の商品のプロモーションでも、
まぁ、何でも良いんですが、そうなると、
このテーマの面白さが、非常に重要になってしまう。

しかも、そのテーマは、
「インターネットを使った何か」によって良い解決ができそうな匂いのする
ものでないと、良い課題にならない。

さらに言うと、学生50人、将来進みたい道が、
家電メーカーから、自動車メーカー、インテリア、広告系、
その他自分が将来何がしたいか分からない人(これ結構多い)が、
興味をもって取り組んでもらえそうなもの、将来役に立ちそうなもの。

去年、テーマを設けなかったのは、
そういう面白いテーマを考えることからの「逃げ」なんじゃないか、
と思ったりもしたり。

いやいや、別に「逃げ」でも「攻め」でも何でもなくて、
単に個人的なスタンスがどうなのか?という事なのかなと思ってもみたり、
どうなんだろうなぁぁ〜〜、という。ね。


– 「インターネットを使った何か」によって良い解決ができそうな「テーマ」とは?

例えば、僕は焚き火が好きなんですが、
焚き火を楽しむアプリなんか見てるよりも、
薪をくべて、新聞紙にライターで火を付けることの方が、よっぽど楽しいので、
焚き火を楽しむアプリは割りとどうでも良い。

焚き火を楽しむための、
全国直火OK景色最高な焚き火スポットMAPとかがあったら、
見てみたいかもしれないけど、
こういうテーマは、学生50人に考えてもらうようなテーマじゃないと思う。
いや、意外と面白いかな。。。

奥さんからは「就活」というテーマを貰ったりもしました。
学生が考える「就活」のためのウェブやアプリ、ちょっと面白そうかもと思いました。
「就活」とか暗いニュースが多いしね。

政治とか、ネット解禁になるので選挙とか、行政関係もいいのかなぁ。
そういう、今つまらん感じのが、テーマとしては面白いのかな。

けど、それってインターネットだけの問題でもないしなぁ、、とか。

去年は、アプリとか、サービスとか、Function系が主だったけど、
今年は、メディア(ウェブマガジン等のコンテンツ企画もの?)も
アリにしちゃうか?とか。

テーマなんか何でもいいんだから、何でも決めちゃえば良いんじゃない?とか。

みたいな思考のループを最近繰り返しています。



しまった。朝だ。



6月、授業が始まるまで、また色々考えようと思います。

定住再考

2011.11.12 12:57 by mio [ 1,458 views ]

Category : 思考の整理

先日、打ち合わせ中に、仕事は東京が多いのに、何で千葉に住んでるんですか?と聞かれた。

なぜ、千葉に住むのかという質問はたいてい、なぜ、東京ではないのか?ということを聞かれている。デザインの仕事をしていて、クライアントも東京ばかりなのに、どうしてなのか。東京に住んだほうが、打ち合わせも出やすいし、刺激も多いし、いろんな人に出会えるんじゃないか。そういう、東京に住んだほうが、便利だったり、楽しそうだったりするのを蹴ってまで、なぜ千葉なのか? というのが不思議なんだと思う。

自分自身も最初は、そう思っていた。何で東京に出ないんだろう。住んでみたい。そのうち行こう、というようなこと。けど、最近東京に住みたいと思わなくなった。これは、住みたくないという意味ではなくて、そして、千葉に住みたい、という話でもない。千葉に住もうと決めたのだ。

何でそう思わなくなったのか、今、この文章を書きながら、よく考えたら、KARAPPO事務所の空間が気に入っていて、そこで働いているのが気持ちがいいからじゃないか、というのが大きいなぁと思った。他にも、千葉に住んでいて楽しいことは色々増えてきた。人生楽しければ良いと思うのだけど、楽しければ、住んでる場所なんてどこでもいい。住む場所や、働く場所というのは、人生で一番長い間いる場所だ。その場所を、自分で作るということがちゃんとできれば、毎日の生活は格段に楽しくなると思う。街や風景というのは、自分の力だけでは何ともできないけど、街や風景がどうであっても、そこに住む人達が何かしらの美意識や、哲学を持って生活をしていれば、徐々に街も変わっていくのだと思う。最近は、千葉に住んでいる友達も増えたし、よく見てみると、いろんな人がいて楽しい。

ここにこれからも住もうと決めたとき、その街は自分の街になる。その差は大きい。そのうち、どこかに引っ越したいと思っていると、その街との距離が遠くなる。ここに住もうと決めることによって、楽しくなる部分というのがたくさんあることに最近気づいた。ノマド的な生き方にも憧れたりするけれど、定住の決断というのも、これまた面白いんじゃないか、と思う今日この頃です。僕は結構、勇気がいりました。日本中で見ても、住みたい街にはランクインしなさそうな普通な感じの街だけど、このニュートラルな感じが意外と面白い気がしてきています。普通にみえるけど、ゆっくりと見ていると、色々見えてくる。人の顔も見えてくる。

そんなわけで、千葉に住むことが楽しくなってきた今日この頃です。



この投稿は、9/10に書いて、2ヶ月寝かせていたものです。
写真は、自分のマンションのベランダから見える風景。

ブログを書くこと

ブログを書くこと

2010.04.24 06:11 by mio [ 1,991 views ]

Category : 思考の整理

僕の周りの友達の多くが、Twitterを使うようになって、そろそろmixiを見なくなったという人が増えてきた。ということで、このブログを見に来る人は、僕がTwitterにURLをはらなければ、mixiから来る数人の人、あとはRSSリーダーで僕のブログを登録している何人かの友達ということになりそうだ。それはそれで面白いなあと思う。あまり見られてないというのはそれはそれで気楽で楽しい。たくさんの人に見られていると、色々気を使ってしまう。下手なことが書けないというか、書きづらいのだ。

わざわざ書くのが面倒な方のブログに書く、面倒なことは面倒だけど、それが逆に楽しかったりもする。車で行けば5分というところに、わざわざ歩いていく感じ。

Twitterは、話し言葉のように、思ったことがすっと書けるから気軽に割と色々書いてしまえるけど、ブログだと、文章力が試されてる感じがするというか、そんなにダラダラと書いてどうすんの?って思われないだろうかと、不安になりながら書いたりする。そういうのも少し緊張感があって面白い。

Twitterは、伝えたいことを伝えるというよりは、思ったことを書く、ぐらいなので気軽。どんどん流れていくし、前回のブログでも書いたけれど、過去の発言はどんどん参照しにくくなっていくし、1つ1つの発言をわりと無責任に書ける。ブログは何かを綴る感じ。書いているうちにどんどん自分だけの世界にはまりこんでいく感じもするし、過去の記事の検索が容易だし、どんどん溜めていったり積み重ねて行くようなイメージ。それはそれで面白いんじゃないかなと思う。話し言葉と書き言葉の違いのような、そういう違いもあるかもしれない。Twitterは話すと書くの中間みたいなところがあって、それが新鮮で皆楽しんでいるところもあるのかもしれない。ただ、そればっかりというのは、何か良くないような気もしてきている。刹那的な感じがするのだ。自分はどこから来たのかとか、どこに行きたかったのかとか、深く考えることができない感じがするのだ。

自分の思考を構成する要素として、自分が書いた文章というのは結構大きい気がする。一度書いた文章は、再度参照することが多いし、書くことによって頭が整理されたりもするからだ。人は、自分が表現したことによって、自分をある程度コントロールできるんじゃないかと思う。「楽しい」という言葉を口にすると、より楽しい気分になるし、その記憶を文章にすれば、それはより強い記憶として定着する。そういう意味でも、ブログを書くというのは、とても有意義というか、面白い行為なんじゃないか、と、改めて思うようになった。

Twitter 考察 : データの構造と、そのコミュニケーション

Twitter 考察 : データの構造と、そのコミュニケーション

2010.01.20 06:36 by mio [ 4,070 views ]

Category : テクノロジー, 思考の整理

ここ1年で日本でも急に流行り始めたTwitterについて、自分なりに考えを一度まとめておくことにする。

いろんな人のTwitter論のまとめは、Twitter社会論とか、コチラのリンクが参考になるかと。どう使うのがお得かとか、どう使うのが楽しいかとか、そういうことも色々な人が色々書かれていますが、今回はTwitterのデータの持ち方、構造、と、その結果何がどうなったか、という点について考察したいと思います。他の人が書いていることと重複する部分も多々あると思いますが、一応自分なりの整理ということでまとめておきます。


データの構造
・つぶやき (自分のID、140文字 + タイムスタンプ)
・ユーザの情報 (自分のID、URL、簡単な自己紹介、パスワードその他、誰を follow しているかというデータ)
・List機能 (自分のID、リスト名称、タイムスタンプ、プライベートorパブリック)
・公式ReTweet (自分のID、コメントのID、他人のID、タイムスタンプ)
・ダイレクトメッセージ(自分のID、メッセージ、他人のID、タイムスタンプ)

データの表示の仕組み
・自分+自分がFollowしてる人
・自分のみ
・特定の人のみ
・Listに含まれるユーザのみ
・ハッシュタグのみ
・新着順にコメントを表示 ※新着順以外には並べ替えられない

その他
・followの数に制限がない


140文字という入力制限が生んだもの

→ 気軽に書ける。読める。

140文字という制限があるので、ブログのように、何かをまとめなきゃ、とか情報発信しなきゃとか、そういう強迫観念にとらわれれることなく、誰かとの会話のようにして使うことも、日記のように使うことも、メモとして使うことも、全て「気軽」にできる。また、情報の送り手だけでなく、受け手においても、短い文章で気軽に読めるようになった。さらに言うと、文字数制限の枠に収まるように、情報を凝縮する小さい単位での編集作業も加わるため、情報の質が自然と高まりやすい。

→ 小ネタが大量発生し、会話だけでなく、情報ソースとしても使えるようになった

今まで、ブログの記事や、mixiに書かれなかったような、ちょとしたネタが大量に出てきた。これによって、ニュースを見なくても、誰かがつぶやいた、小ネタを見ていれば、だいたい世間で何が起こっているかが分かるようになった。たとえば、こんな面白い展覧会があるよとか、こんな面白いサイトあるよとか、この政治家の言ってること変とか。

→ 人力情報フィルタとしても機能する

影響力の強い、アンテナの感度の強い人の、小ネタを覗けるようになり、今までRSSリーダーを使って、複数のサイトを飛び回って、長い記事に目を通していた手間が、省けるようになった。感度の高い人のアンテナにひっかかった、つまりフィルタリングされた情報を取得できるようになったのが非常に大きい。新聞社のTwitterアカウントもあるので、アンチマスメディアな人の発言だけでなく、followする対象の組み合わせで、自分に必要な情報をコーディネートすることもできる。

[おまけ] 政治家も使い始めた
データの構造とはあまり関係ないが、補足的に書いておく。これは革命的なことだと思うのだけど、一部の国会議員がTwitterを始めた結果、政治の現場がなんとなく垣間見えるようにもなった。最近では、鳩山首相も始めましたね。民主党によって、選挙活動でのインターネットの利用が解禁されたそうだが、次の選挙がどうなるのか、非常に楽しみだ。
Twitter内で国会議員を検索
Twitter関係ないけどオマケ 「この開かれた政府は、オバマ政権を上回る過激なものだ。(引用)」 民主党の意図せざる革命 – 池田信夫


→ 小ネタ満載なので、人とつながりやすい

mixiもそうですが、発言の条件として、ユーザアカウントが必須なので、この人と連絡をとってみたいと思ったときに、Twitter上で簡単に連絡が取れる。ブログで、この人の書いていることが面白いと思っても、その人に対して連絡を取るときの心理的な障壁は非常に大きいですが、Twitterではそれが容易です。
mixiよりも、人とつながりやすいと思うのは、上にも書いたように、とにかく発言の回数が多く、小ネタもたくさん転がっているので、共通の話題を糸口にして、誰かのつぶやきに横から自然に参加できるチャンスが多いという点。たとえば、知らない人が「〇〇の展示が面白い!」と書いて「あ、それ僕も見てきました!」とかそういう感じで、仲良くなったりできる。後は、RTなんかしつつ、その業界(コミュニティなど)で有名な人に絶妙な距離感で(?)お近づきになれたりすることもある。

▽140文字ではできないこと

→ 長文は書けない
当たり前だが長文は書けない。一つのテーマについて詳しく何かを書いたりすることはできないので、ブログにとって代わるものではないが、今までブログやSNSの日記に書かれていたような、日々のとりとめのない事柄は、Twitterのほうに流れたと思われる。「今日は疲れた。。もう寝よう。。」とか。


発言の構造化ができない → 井戸端会議的

構造化というのは、発言同士のデータレベルでの紐付けのことで、@マークによる返信や、RTは、発言のIDによって紐付けているわけではないので、データとしての構造化はされていない。データとして構造化されていないということは、システム側でそれを構造化して表示することが困難ということである。そのため、一つのテーマを掘り下げて、様々な視点から議論しまとめていく、というようなことをするのには向いていない。とにかく、「まとめ」「整理」が苦手なのがTwitter。道端でやる井戸端会議のように、とりとめのない話を楽しむ方が、向いているだろう。


スレッドがない + 新着順でしか表示できない → 過去のことは水に流そうシステム

去年、一昨年あたりに、ブログの炎上というのが話題になった時期があったが、Twitterで炎上したという話は特に聞かない。炎上の定義は、誹謗中傷の連鎖が、雪だるま式に広がっていくこととする。多分、それはTwitterが、スレッドという概念を持たない、ということと、コメントを新着順にしか表示できないというのが原因だと思う。

→ スレッドがない = 1つの話題を一覧できない

ブログでは、特定のURLを持つ投稿に対して、その投稿への返信という形でコメントが付き、データベースの構造としても親と子供という明確な違いがあり、投稿に対する返信は、その投稿のURLにアクセスすることで一覧することができる。しかし、Twitterでは、@マークをつけることで、「人」に対して返事をできるが、特定の投稿に対してのどういう返信があったかということを、システム側では判別できず、よって特定の投稿(発言)対する返信(反応)を一覧することができない。そのため、誰かが誹謗中傷してるから、それに便乗するとか、そういう連鎖が起こりにくい。ハッシュタグを使えば、そのタグで発言を一覧することもできるが、誰かを誹謗中傷するためにハッシュタグを作るほど悪趣味な人はあまりいないと思われる。

→ スレッドがない = 発言間に上下関係がない

また、スレッドを持たないというのは、各発言の親子関係がないということであり、親子関係がないというのは、それぞれの発言の上限関係がないことともいえる。親(発信側)、子(受信側)、という明確な区切りがなく、それぞれの発言はデータ構造上は、フラットな関係であるため、ブログのように、何か発信してやがる偉そうなやつ、と、それを読まされてる(読んでやっている俺)みたいな心理的な関係も生まれにくい。とにかく、それぞれの発言は、普段の会話のようにフラットなのだ。また、ブログへのコメントは、匿名で行うことも可能だが、Twitterの場合は、必ずTwitterのアカウントが必要であり、反応する側もそれなりに自分の発言に責任をもたなければならないという心理的な作用も働く。

– 過去のことは水に流そうシステム

Twitterでは、過去のコメントを見るには画面の下のほうにある、「more」というボタンで20件ずつしか表示されないため、たとえば、1年前のつぶやきを見るのは非常に困難となっている。そのため、誰かと誰かが仮に、Twitter上で誹謗中傷合戦、何かの言い合いが発生したとしても、時間が経てばそのコメントへのアクセスは困難となり、比較的短い時間で、沈静化する。過去のことは振り返ってもしょうがないだろう、という面白いインタフェースだと思う。

ただし、Twitterの外部のサービスではそうはいかないので、Twitterの特定の発言を取り上げて、はてブや、各種ブログで炎上するということはあり得る。1年ぐらい前の話ですが、実際にウェブ進化論の梅田望夫氏のTwitterでの発言があっちこっちで炎上したこともあった。ただ、これはTwitterが今みたいに本格的に流行る直前ぐらいで、まだブログとか、Twitter以前のウェブサービスをコミュニケーションの主軸にしていた人が多かったときの話なので、もしこの発言が今月のものだったら、その日、一日梅田さんがこんなこと言ってたぞ、とTwitter上で盛り上がるだけで、3日後には忘れられる、みたいな、少し違う結果だったかもしれない。


これからのTwitterとか

あと、半年~1年ぐらいは、今の勢いで利用者が増えて盛り上がっていくと思われるが、その先はどうだろう。多分、そのうちmixiが面倒に感じてくる人が増えたように、Twitterが面倒に感じる人が増えてくるんだと思う。

mixiのようにマイミクはずしたどうだこうだ、みたいな、Followしたされないはもちろん、あの人にはこういう風に接して、この人にはこういう風に接して、みたいな顔の使い分けみたいなのもしにくい。そんなこと俺は気にせん!みたいな人や、そういうの考えるの得意という人や、そのコミュニティサイト内で自分の持つ交友範囲の特定のグループとしか接しない場合は、気にしなくてもいいんだろうけど、なんとなくで使っていると、そのうち「あ、この発言は控えよう」とか、そういうことが増えてくるような気がする。この顔の使い分け的な部分については、人間の側でそれに適応して、うまい使い方を見つけるパターンと、システム側でうまく解決できるようにするパターンとあると思うけど、次に流行るシステムは、そのあたりをシステムで上手く解決してくれるものだったりするのだろうか?

個人的にはGoogle Groupや、Google Waveのような、あるいはmixiのコミュニティ機能のような、フリーで使えるグループウェア系の決定版みたいなのが出ることを期待している。あと、全国どこでもWiFi的な速度(またはそれ以上の速度)で全員が通信できる、っていうインフラが整えば、映像系のサービスを中心にまた革命が起こるのかなあと思う。


以上。
follow制限がないこととか、List機能だとかについても触れても良かったのだろうけど、長くなりすぎるのも何だなと思ってやめました。

最近買ってる雑誌と、メディアについて思ふこと

最近買ってる雑誌と、メディアについて思ふこと

2009.07.04 02:00 by mio [ 1,959 views ]

Category : 思考の整理,

クーリエジャポン

最近、デザイン関係の雑誌も含めて、ほとんど雑誌を買わなくなった。たぶん、Amazonのせいで本屋に行かなくなって、コンビニに置いてある雑誌しか見ないからだと思う。そんな中、唯一たまに買うのがクーリエジャポン。これはコンビニに置いてある。初めて買ったのはオバマが大統領になったときに出たオバマ特集のもので、それが面白くて、それ以来たまに買っている。

この雑誌は、世界中の新聞やら雑誌やらの記事を翻訳・編集して作られてる雑誌。毎回何かのテーマがあって、そのテーマに関して、世界中の記事が日本語で読めるという感じ。

普段テレビや新聞、ネットのニュースも含め、ほとんどが、日本、欧米、中国、韓国のメディアが報じている内容ばかりだけど、この雑誌だと、たとえばインドがオバマ大統領に何を期待しているのか、とか、ケニアがオバマ大統領に何を期待しているのか、ということが読めたりする。インドが、ケニアが、と、まとめてしまうのはよくないかもしれないけど、現地のメディアに携わる人が考えていることが分かるのは面白い。ケニアのイースト・アフリカンというメディア(雑誌?)は、オバマの途上国支援に注目していたり、イギリスのスペクテイターという保守系誌(雑誌?)は、オバマは「第二のブレア」になり下がるだろうとコキおろされていたり、そのころ日本ではわりとオバマ歓迎ムードだったわけだけど、見る人が違えばこうも世界は違って見えるんだなとか、自分の国の国益をみんな考えてるもんだなと分かったり、いろいろ分かって面白い。

そういうわけで、ときどきこの雑誌を買っている。

今日、スタジオ・ボイス、Esquireが休刊と知って少し驚いたのですが、そういえば最近買ってなかったなあと思った。上にある、クーリエジャポンの今回の特集も「サヨナラ、新聞」なわけで。新聞&雑誌&テレビは、ずいぶん前から死の宣告を受けまくりで、去年ぐらいから(?)アメリカの新聞がヤバイということになってからますますそれが加熱している感がある。「おまえはもう死んでいる」だとか「ROCK IS DEAD」とか、死の宣告をしたがる人が多いのは何なんだろうと不思議でもある。まあ、既得権益的な臭いがするものが皆嫌いなんだろうねえ。

先日、中川淳一郎という人の「ウェブはバカと暇人のもの」という本を読んだ。この本の著者は、オンライン・メディアの編集をやってるみたいで、心ないネットの住人と毎日闘って、ほとほと疲れ果てているようだった。ネット界の暇人達がいかに厄介で稚拙でアホかが詳しく書かれていて、なんだかんだテレビの影響力はすごいとか、ブログやSNSは一般人のどうでもいい日常の塊だとか、素人が何をやっても素人だとか、双方向というのは厄介とか、ネットでの発言は自由なようで実に不自由とか、一般人とそれを相手にする企業の現実はこんなもんですよ、という事が書かれてあった。

その中で、オーマイニュースという「市民みんなが記者だ」というコンセプトのもと、韓国で生まれたニュースサイトがあって、それが日本に上陸したが、大失敗に終わったという話があった。市民記者のプロ意識のなさやら、「権力を批判すればいいんだろ」的なところで思考がストップしてしまっていたり、つまらない内容が多かったらしく、そういうこともあって、コメント欄が荒れまくった結果、サイト閉鎖になったそうだ。

今の新聞という形態がなくなったとしても、今新聞記者が必死にやっている仕事にはニーズがあるから、それがうまく換金されるシステムさえあればいいわけで、別に、今の新聞という形態がなくなったりはするかもしれないけど、記者という仕事がなくなることはないんじゃないかなと思う。

合理的に考えると、ある情報が紙にかかれていようが、電波で飛んできたのをテレビで受信しようが、インターネットで読もうが、なんだって良い。それぞれに特徴があって、一長一短で、情報の質に応じてそれらを使い分ければいいだけの話。インターネットがテレビや雑誌や新聞が持つ既得権益を駆逐して、もっとフラットな世界がやってくるんだ!というような話は昔からあるけど、僕は最近あまりそう思わなくなった。(少しは思ってるけど。笑)

ここ数年で思ったのは、インターネット上にも既得権益的なものは生まれてきているし、結局お金を儲けるためには、そういう楽して儲かるシステムを作るのが一番良いから、ネットの世界でも、今後ますます既得権益的なものが巨大化していくと思う。たとえば、グーグル、Yahoo、Amazon、mixi、Apple、色々あるけど、下手をすると、テレビなんかよりももっと凶悪なシステムになりかねないとも思う。まあ、日々の生活を便利にしてくれたり楽しくしてくれたりする分には全然儲けてくれたらいんだけど。別にテレビ=悪でもないしね。

ということで、話がそれましたが、クーリエジャポンは面白いなあということでした。ま、どっちかというと、「世界で起こっている事」を知っているのがステータスな、男子向けな雑誌ですな。
(ニヤリ)

千葉市在住について

千葉市在住について

2009.06.10 02:56 by mio [ 1,700 views ]

Category : 思考の整理

千葉に住んでいるということは、つまり東京に住んでいないということだ。
かといって、田舎というほどの辺境に住んでいるというわけでもない。
首都圏のベッドタウン、寝床町なわけだ。

東京までは、東京駅を除いて、だいたいどこでも1時間10分ぐらいかかる。
終電を逃したらタクシーで帰るなんて発想は毛頭生まれない距離なわけで。
仕事で打ち合わせに行くと「遠いところからスミマセンね」と頭を下げられるのが、ちょっと切ないわけだ。

そして、一緒に仕事をしている人からは、東京に来ないんですか?と聞かれ、千葉にいる友人には東京に行っちゃうの?と言われるわけで。東京に住んでみたいなあと思ったり、家賃が安くて、のどかな住宅の風景も捨てがたいなと思ったり、千葉の友達や、大学の後輩と離れてしまうのも寂しいいもんだと思ったり。

なんだかんだで、10年ぐらい千葉に住んでしまっている。

実家がある神戸の町はとても好きなんだけど、
千葉は好きというほど好きではない。
けど、なんか、情はある。

あ、けど、今住んでいる部屋は好きだ。
部屋から見える風景も好きだ。
どこにでもありそうな普通の町並みと広い空。

それが大きいのかもしれない。

千利休

千利休

2009.06.08 03:28 by mio [ 1,500 views ]

Category : コトバ, 思考の整理

千利休のコトバ
「家はもらぬほど、食事は飢(うえ)ぬほどにてたる事なり。水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてゝ、仏にそなへ人にもほどこし、吾(われ)ものむ。花をたて香をたく。みな▲仏祖(ぶっそ)の行ひのあとを学ぶなり。」
▲=くの字点

お茶、好きだ。
お茶を飲むと、温泉に入ったときみたいな気分になる。

今日の産経新聞でこの言葉をみつけた。温暖化の話やら、経済危機の話やらが紋切型過ぎて、何かめんどくさい内容だと思った。(書いてる人は多分良い人だと思います。)

この記事の中にもあるけれど、「地球存亡の危機」「経済の危機」「核の脅威」だとか、世界にはたくさんの危機があるようだ。この世界の中のチリのような存在である僕はいったい何をすべきか。ということは、最近あまり考えないようになった。「世の中」や「みんな」というのが、一体、誰なのかよく分からなくなった。自分のためなら何かできる。今目の前にいる人、どういうわけか出会ってしまった人のためなら、何かできるかもしれない。それすら難しいけどね。せめて、お茶かコーヒーぐらいは出せるかなと思う。

なんか、久しぶりに考えていることを書いたなあ。