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ブロッコリーと真実

ブロッコリーと真実

2008.02.23 03:42 by mio [ 1,519 views ]

Category : 日記的なもの

仕事の隙間を見つけたので、今日は自分の健康のために自炊しました。

クリームシチューを作りました。
簡単だけど、作るのに時間がかかる。
けど、大量生産ができる。そこがシチューの良いところ。


で、
ブロッコリーを買いました。
アメリカ産のブロッコリーが、150円ぐらい
埼玉県産のブロッコリーが、200円ぐらい
でした。

今までは、国産のが250円ぐらいだったので、
アメリカ産ばっかり買ってたのですが、
いつもよりちょっと安かったので、国産をチョイス。

何故、国産の方が高いのかというと、作るうえでのコストが国産の方が高いから?
小さい農園で作ってるから、1個当たりのコストが高い?
どうなんでしょうね。

僕は環境に優しい選択ができたんでしょうかね?
優しいような気がするというのはあるけれど、
本当のところは分からない。


環境がどうのこうのと、
色々、新商品やら、運動やら、ありますが、
どこまでそれを信じていいのか、いつも悩みます。

僕が今使っているエネループたちは本当に環境に良いのだろうか?
なんとなく良さそうだけど、どうなんだろうか?
そもそも、環境に良いというのは、CO2の排出量や、ゴミの排出量だけで考えて良いのか?

再生紙とか、この前ボロが出てたけど、結局、再生紙を作ると普通に紙を作るよりも、
化石燃料を大量に消費すると本で読んだことがあります。(リサイクル幻想という本で)世界の森林が大量に減っているのは、紙を作るせいではなく、焼き畑農業なんかをやるせいだと書いてあったように思います。


地球環境にもし配慮するなら、先進国の都市に住む人間は死んだほうがいいんだと思う。
僕が死ねば、だいぶCO2削減できます。
死にたくないから死なないけどね。


情報があふれかえっているときは、
どの情報の信憑性が最も高いのかを上手に判断しないとダメだ。
難しいけどね。

結局最後は、信じるか信じないかですな。
どれが最も真実らしいか。

どの情報を信じるのか、
というのは、それを分析する過程においては科学でもあるが、
最終的に何を信じるかという段においては、それは宗教に近い。
宗教がダメというわけでは決してないけどね。


あまり人に迷惑をかけずに生きて生きたい。
誰かに迷惑をかけて嫌がれるぐらいなら、
誰かに感謝されるようなことをしたい、
というのが、環境への配慮の根元にあるのだろうか。


環境への配慮、地球に優しい、というのを聞くたびに、
「あいつらは、全員、偽善者だ!」とか言う人もいるけど、
あれは危険な発言だなと、よく思います。
偽善を指摘するのは、かなりの覚悟が必要だと思う。
まるで自分が全てを知っているかのような発言。
ああならないように注意したい。

真実は誰にも分からないのだと思う。
真実っぽいことしか分からない。

真実の中身はからっぽなんだと思う。

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  1. モア・イズ・モア — 2008/2/28 07:09

    >環境への配慮

    生きるために自分のすみかをケア&メンテすることに疑問はもたない。
    環境問題の問題は個々の対策にどれほどの効果があるのか分りにくいということだと思う。
    そこんとこの科学的根拠にはあまり目を向けずに(目を向けても分からないことは多いけど)、ただ極端な行動をとることを目的にしてしまったり、傷にツバとか塩を塗るような行動をとってしまうのは愚かしいかもしれない。
    行為の結果よりも動機を重視するカント的に形式主義的な道徳がふさわしい場合もあれば、ふさわしくない場合もあるんだと思うな。

  2. mio — 2008/2/29 00:30

    >生きるために自分のすみかをケア&メンテすることに疑問はもたない。

    「自分」が、どこまでの範囲なのか、ということも大切そう。自分ひとりなのか、自分の住む地域なのか、国なのか、全人類なのか、それとも全ての生命なのか。


    >環境問題の問題は個々の対策にどれほどの効果があるのか分りにくいということ

    そうだね。
    複雑だろうから、
    しょうがないところもあったりはするんだろうけどね。


    >行為の結果よりも動機を重視する~

    どうなんだろうね。
    結果のための動機な気もするな。

    というか、結果と動機って比べられるものなのか良く分からないな。
    比べることに意味はあるのかな。
    どっちかが大事なのではなくて、どっちも大事なのでは?

    結果を出せなかった人を励ますときは、
    その過程や、動機をほめるだろうけど。
    けど、それは、
    結果よりも動機が大事だったということではないような。

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