「発見力」 ~エコ反省文・前進もしくは後進すればいい~
以下、数週間前に書いて、投稿していなかった、12月1日、2日のKarappoライブの反省文。なんだか、タイムリーではなくなってしまったので、引用文として文末に掲載します。
文章を寝かせると、その文章が他人が書いたように見えてきます。けど、逆に文章にして寝かせると、その考え方や経験が自分のものになったような気もしてきます。
「寝かせる」と
自分から離れていったり、
ときには、
自分のものになったりする、
この2つは逆な感じがするのが面白い。
と、いう、発見。
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ライブの移動中に、ついつい調子に乗って
「僕は人が落としたものやなんかを発見するのが得意です。」
と宣言してしまい、それ以降、あれ、ホントに得意だったっけ??と
自分の「発見力」をつぶさに観察するようになった。
けど、なかなか自分の周りの人がものを落とすことはないので、
発見の対象は、落し物から、いろいろなものに拡大され、
最終的には、何かちょっとしたことに気づいたりするだけで、
「あ、今のは発見じゃないか??」「俺ってやっぱ発見力あるな」
なんて思うようになった。
で、これが、なかなか面白いと思った。
「今のは発見だ!」
と思うと、何かこの言葉の響きがよくて、とても嬉しい気持ちになる。
嬉しいから、また、何か発見したいと思うようになる、
すると、また何か発見する。
しかも、せっかくの発見だから、覚えようとするし、忘れない。
発見力を意識すると、こういう楽しいスパイラルが生まれるのだ。
という発見をした僕には、
やっぱりかなりの発見力があるに違いない。
という楽しいスパイライルが生まれるのだ。。。(無限ループ)
以下、数週間前の僕です。
12/1(土) ECO@NAGOYA
12/2(日) ECO@KYOTO
ECOを、名古屋と京都でやってきた。
イベントの内容は今までの中で最高というか感動した。
グッと、前に乗り出す、
現在という時間の壁の1歩先にのめりこむ、
あの瞬間。
どこかにその人の凝縮された「気持ち」とか、
そういうものが垣間見えると感動する。
自分のパフォーマンスでは、今回はピアノに挑戦。
僕には相変わらず、楽器を使ったコミュニケーション能力が不足していると思った。
今に集中することはできて、何か伝えたいことが心の中にあっても
技術を持っていないと、それをちゃんと伝えることはできない。
何をやるにしても、
どこをどう弾けば、どういう音が出るのか、
何をすれば、どうなるのか、
ということを体得しないと、色々と難しい。
何をすれば、どうなるのか
これを覚えて、高速で処理できるようになることが、成長なのかもしれない。
できることが増えること。
前進と呼ばれたりもする。
ただ、
最近、成長だけが面白いわけじゃないと思うようになった。
前進したり後進したりすればいいと思うようになった。
あぁでもない、こうでもないと、悩んだり、何かをしたり、
何かを忘れて再確認したり、同じ失敗を何度も繰り返したりしつつ、
試行錯誤し続けるということ。
常に今に自分の気持ちを詰め込んで、
前進あるいは、後進する。
数年前の自分と、今の自分と、できることは増えたり、
知っていることも増えたり、考え方も変わったりしているけど、
数年前の自分と、今の自分を比べて、
人間としてどっちが優れているかなんて問いに
答えはないんじゃないか。
3歳の子供が初めて描いた絵と、
絵を描き続けた60歳の大人が描く絵と、
どちらが素晴らしいか、だなんて、答えはあるか。
ないんじゃないか。
だからといって、技術を磨くことを放棄すればいいって話じゃなくて。
大事なのは今、この瞬間をどうするかってことなのかもしれない。
これまでの自分がどれだけ成長してきて、
「現在」に到達した自分がどれだけ素晴らしい人間になっていたとしても、
今この瞬間がダメなら、意味がない。
大学生の頃に、俺は今年は、このアプリケーションが使えるようになった、このプログラミング言語を覚えた、こんなデザインができるようになった、こんな賞がとれた、とか、そういう「成長」を嬉しく思っていたけど、そういった「成長」の上で何か新鮮な気持ちを忘れてしまいそうになったり、うまくできるやり方に頼ろうとしてしまったり、と、そういう自分がたまにいるように思う。そうなってくるとかつて自分が「成長」だと思っていたものはなんだったのか、わからなくなって、今みたいな考えに至ったのかもしれない。
最近は「成長」することよりも、今この瞬間に新鮮さとか面白さとか楽しさとか、そういうものを感じられるかを重視しているような気がする、どっちも似たようなことなんだけど、どこか目的地に行きたいというよりは、とにかく進んでいたいみたいなことかな、最終目的地とかはなくて、全部が全部経由地で、そこを前へ後ろへ右へ左へ思うがままに進んでいるイメージ。
どこかに居座らずに、とにかく、動くということ。
動くことで、状況を把握する。
アフォーダンス理論みたいだけど、そういうことが大事なんじゃないか。
動いていれば、何が遠くにあって、
何が目の前にあることなのか分かってくる。
動いていれば、普段見ていた何気ない景色が、
全然違うものに見えたりする。
ここで前進とか後進とか言っているものは、とにかく考えるということ、
思考をストップしないということ、かもしれない。
たとえ、同じ事をやり続けていても、何かを考えながらやっているのと、
何も考えずにやっているのは全然違うってこと。
毎日毎日、毎年毎年を違うものにしたい。
たくさん感動したい。
死ぬまで続く、今この瞬間を、精一杯生きていたい。
色々、思考の整理とかいって、書いているけれど、
多分、僕の書いていることは、同じようなことばかりだ。
無駄に長い文章で、
自己肯定、自己確認、そんなことばかりをして、
弱い自分、浅はかな考えをさらしているのかもしれない。
黙々と、何かをやれる人間になれたら格好いいんだろうけど、
僕はまだまだ、そんなに格好の良い人間ではない模様。