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セプテンバー・セブン・ライブ

セプテンバー・セブン・ライブ

2007.10.02 03:16 by mio [ 1,194 views ]

Category : Karappoライブ情報, 思考の整理

Karappo Live @ SPC


Karappo Live
9月15日(土)千葉 
9月17日(月)東京
9月19日(水)広島
9月21日(金)長崎
9月22日(土)福岡
9月23日(日)広島
9月29日(土)広島

9月はライブが7回あった。

1ヶ月に7回もやるのは生まれて始めての経験だ。
Karappoがライブ活動を始めて丁度一年、何とかここまでやってきた。
1年でよくここまで来れたなぁとも少し思ったけど、今回のツアーに呼んでくれた羽野さんをはじめ完全に周りの人のおかげだ。
お客さんのほとんど全員がKarappoなんてどうでもいい人ばかりだ。
さすがに7回もやると、ほんとに指で数えられる程度の人だけど、カッコイイとか、楽しいとか、面白いとか、言ってくれる人がいた。
その一言だけで、どこか救われる。何か伝わったのかなと思う。
今回のライブセットに関しては、うるさいとか言う人もいたりした。やってることがやってることだけに、それもしょうがないと思った。
半分ぐらいの人は、口をポカンと開けて見ていた気がする。
他の出演者との文脈が違いすぎたのかもしれない。
それはそれでいいと思った。

どっちかというと外国の方の反応がいつも良いと思った。日本人でも反応してくれるのは外国人っぽい人というか、外国に長期滞在したことがある人が多い気がする。外国の方の人の方が感情表現豊かだからなのか、日本人の気質的にKarappo的なものは受け入れられにくいのか、何なのかはよくわかりません。たとえば、歌のコンテストに、音が出る変な玩具を持っていっても、大体の人は評価してくれないだろうけど、Karappoがやってるのはそういうことで、その評価が良いか悪いかは別として、何かしら反応してくれる人というのは、そういうキャパシティのある人なのかなと思った。

Karappoのライブには、だいたい言葉がない、声もほとんどない。
だからといって、伝えたいことがないわけではない。
言いたいことがあって、ライブでやることを考えている。
言いたいことは、テラと僕で全然違うだろうけど。
重なっている部分もあるはずだ。

言いたいことというのは、Karappoのライブ活動だけでなく、
Karappoの存在や、仕事の中にも色々含まれている、
僕にとっては、Karappoの存在自体がメッセージだ。

今回のツアーで学ぶことはたくさんあった。
自分に足りないものも色々と分かる。
まだまだ分かっていない足りない部分もたくさんあるでしょう。


○セッション
あと、羽野昌二(dr)&KIYO(dr)+Karappoでセッションできたのはとても面白かった。自分の非力さを味わいもしたけど、4人ぐらいでのセッションというのは、とても面白いと思った。6人とか7人以上になってくると、ワケが分からなくなるけど、4人ぐらいなら、ぎりぎり周りが把握できるというか、セッションしてる感が出てきて面白い。羽野さんは2人のセッションが一番やりやすいと言っていた。やりやすさで言うとそうかもしれないけど、面白いのは3人かなと思ったりもした。

○ライブ慣れ
1年間で12回ぐらいライブをして、だいぶライブにも慣れてきて、やっとライブを楽しめる段に入ってきたように思う。機材のこともだいぶ分かるようになった。去年の今頃はミキサーの存在意義すらよく分かっていなかった。今後はもっとライブを楽しめるようになりたいと思う。

○Koba
それから、KobaでのKarappoワンマンライブも一年間の総集編みたいな感じで面白かった。BOMさんのお達しで急遽昔のライブセットもやることになったんですが、羽野さん用に作った映像のシステムを、KIYO&BOMチンドンライブセットにしてみたり、普段Karappoスタジオで色々試して遊んでいるときみたいに、ライブができて楽しかった。そして、KobaはBOMさんを筆頭にいる人が楽しすぎる!広島いったら皆、Koba(Restaurant Bar)に遊びに行くことをおすすめします。Parcoの割と近くにあるよ。


とにかくツアーは刺激に満ちている。いろんな人にあって、いろんな世界を見ることができる。自分の世界を見せて、相手の世界をみて、共感したり、驚いたりする。あー生きてるんだなーって思ってしまう。また、広島や福岡でもライブをしたい。それまでに、また腕を磨いておかんと。


○次回ライブ

Trench Warfare 6.0


10月14日(日)にまた、
千葉の本八幡でTrenchWarfareというイベントに出ます。
今回も相変わらずやることは未定ですが、
Mioは9月とはまた違ったライブをやりたいと思っています。
ジョンケージよろしく、常に新しいアイデアを試していたい。

Trench Warfare 6.0 “headphone science Japan tour 2007”
(mixi告知)

小林秀雄・サバイヴ・はてな?

小林秀雄・サバイヴ・はてな?

2007.09.12 02:32 by mio [ 1,483 views ]

Category : 思考の整理,

最近、電車の中で、小林秀雄という批評家の「考えるヒント」という本を読んでいる。

まだ、全部読んでないし、どこから読んでもいい本なので、ぱらぱらと読んでいるのですが、これは面白いです。これを読むと、批評家ってかっこいいなと単純に思っちゃいます。特にこの人の言葉はかっこいい。まだ、読んでいる途中な上に、最近忙しいので感想なんかは、後日(数週間後)にでも書こうと思います。

ところで、僕が気になっているのは、小林秀雄に関する記述を最近色んなところで見るということ、この本を買ったきっかけは、村上龍の本の中で、小林の言葉が紹介されていて、その言葉が気に入ったからなんですが、小林秀雄に注目し始めると、結構いろんな人が、たとえば、ウェブ進化論の梅田さんやら、なんやらが書いていたり、なんでそんなに参照されてるんだろうと思っています。それだけ凄い人だったんだろうけど、知識人と言われる人たちがよく参照する雰囲気があるので、何がどんだけ凄いのか、計れるもんじゃないですが気になっています。

話は少し変わりますが、最近「サバイヴする」という言葉をよく聞きます。これも、村上龍やら、梅田さんやら、茂木さんやら、プロ論という本に出てきそうな人たちが口をそろえていうキーワードなわけですが、この「サバイヴ」するという言葉を使う人と、小林秀雄を参照する人というのは被ってるんじゃないかと思ってます。個人主義な人達というか。僕も最初「サバイヴしなければならないから云々」という言葉を見たときは、「俺もサバイヴしないと」なんて思ったりもしましたが、こうも「サバイヴ」という言葉を目にするようになると、逆に「あれ、あなたもサバイヴですか?」なんて思ってしまう。サバイヴしてる人が増えてるってことなんでしょうか。それだけ、生かされてる感が薄れてきていて、生きなきゃ感が増しているんでしょう。

いろんな人が口を開く世の中になったから、似たような言葉が蔓延するようになっているのだろうか。もちろん、全員が違うものを参照し、全員が違うことを言う世の中もありえないので、別に取り立てて、言うほどのことでもないのだろうか。多くの人が言っている言葉、多くの人が参照する人だから、それは正しい、或いは何かヒントのようなものがそこにあるのか、よく分からない。どんなに賢い人達でも、一見時代を動かしているように見える人達でも、結局は時代に翻弄されて生きているんだろうか。

個人主義、リスクの個人化、ネットワーク化(人・モノ・情報)、アフェリエイト(提携)、サバイヴ、格差、フラット化、動物化

色々つながってるみたい。

団塊と格差社会

団塊と格差社会

2007.08.30 01:41 by mio [ 1,612 views ]

Category : 思考の整理,

大学生のころ、大学の教授なんかで、「最近の若者は、元気がない、やる気がない、勢いがない」みたいなことを言う人たちが良くいた。そういう発言を聞くと、学生ながらに、腹が立った。そういうのもあってか、「団塊の世代」だとか「格差」だとか、そういうテーマに興味を持つようになった。自分の親の世代や、自分の世代を教育してきた人間達が何をしてきたのか、が気になる。今は、別にもう腹が立つとかはないけど。

今、山田昌弘氏の「希望格差社会」という本を読んでいる。
まだ、全部読んでないのだが、全部読んでから、まとめる必要もないかなと思い、読みながらメモを取っていくことにした。
(緊張型頭痛はだいぶおさまりました。まだ、完璧じゃないっぽいけど。)


■高度経済成長期のまとめ

高度経済成長期の生活には、
①職業領域においては、「企業の男性雇用の安定と収入の増加」
②家族領域においては、「サラリーマン―専業主婦型家族の安定と生活水準の向上」
③教育領域においては、「学校教育の職業振り分け機能の成功と学歴上昇」
という要素があった。
その要素により、生活の安定と向上が保証されていたのである。

中略

経済の高度成長期には、職業、家族、教育の領域は、ローリスクで安定していただけでなく、「成長」していた。仕事に就いていれば収入は伸び、家族を形成すればその生活は豊かになり、子供の学歴は上昇した。つまり、特別なことをしなくても、リスクを冒さなくとも、生活が豊かになったのである。それが、「格差」からくる心理的不満を和らげる効果をもっていた。

中略

経済の高度成長期における生活の安定の秘密は、ただ単に、マクロ的にみた経済成長率が高かったことに求められるのではない。「みんな一緒に豊かな生活を築くことができた」という点が重要なのである。たとえ、平均値としてみた経済成長率が高くても、貧富の差が広がっていると感じられれば、人々の不満感は高まるであろう。

中略

先進諸国では、一九九〇年代前後に、大きな経済・社会の変動が開始されたと言われている。それは、グローバリゼーションによる国際的な競争の激化をもたらし、中間集団を安定化させるコストが増大し、その結果、リスクの普遍化、リスクの個人化をもたらしたのである。


要は、高度経済成長期のころは、皆が「上を向いて」いられたから、その差が気にならなかったし、社会には安全なレールが敷かれていたけど、今はそういった安全なレールがなくなりつつあるという感じでしょうか。この本では、こういった状況を、「リスクの個人化」と呼んでいる。結婚しても離婚する可能性が高くなっている、就職しても必ずしも昇給し続けるわけではない、ある日突然会社がつぶれることもある、明日突然仕事がこなくなる可能性がある、良い大学を出たからといって一流企業に就職できるわけではない、様々なリスクがある、これをすれば安心というのはない。

後は、能力が要求される職業と、要求されない職業(マニュアルに従って働く類のもの)に二極化しつつあって、その差は埋められないものになりつつある。マニュアルに沿って働くものは、一生マニュアルに沿って働くしかなくなるし、収入もほとんどあがることはない。これからの時代は、能力が求められる時代であって、能力があるものとないものの差はどんどん開いていく時代である、といったことは色んな本に書かれているように思う。また、格差というのは子供に遺伝する、と書かれた本も多いように思う。実際そうだなと思うこともある。もし子供に何らかのモチベーションがあるならば、経済的に豊かな親を持つ子供の方が圧倒的に有利だ。

勝ち組、負け組、「結局じゃあ、あんたは誰に勝って、君は誰に負けたんだい?」というのは慰めでしかないのかもしれない。それは、身も蓋もないことだろう。要は生活が安定しているかどうか、安心できる食材で作られたご飯を食べられるか、子供を育てられるだけの収入があるか、親の介護料が払えるか、能力を持つ側と持たない側のどちらにいるか、そういうことなんじゃないか。

無

2007.07.25 01:21 by mio [ 1,386 views ]

Category : 思考の整理

「無」から生まれるものは、刺激的で斬新で本質的なものかもしれないが、
ある表現や、文化、作品といったものが生まれる背景には、
大量の「無」から生まれないものの積み重ねがある、
と思うようになった。

分からないこと、知らないこと

分からないこと、知らないこと

2007.07.23 07:34 by mio [ 994 views ]

Category : 思考の整理

・国の仕組み
・国がやっていること
・マスメディアがやってること
・法律
・経済の仕組み
・地球環境

ニュースを見て何となく分かった気になるのは危険だ。
実際、ニュースを見ても全然分からない。

村上龍は言った。
「無知、何と恥ずかしい言葉だろう。」

印象だけで、何かを非難するのは簡単だ。
しかし、僕はまともな批判ができるだろうか。
デザインについてもそうだが、
何かについて分かった気になり、思考停止してしまうのが恐い。

目的地を定めて燃料を補給する

目的地を定めて燃料を補給する

2007.07.20 06:19 by mio [ 914 views ]

Category : 思考の整理

最近、自分自身が、やりたいこと、やれることが、溢れて、
収集が付かなくなってしまっている気がする。

具体的に書くと、学生のころに比べてお金がある分、
欲しい物も買えて、具体的には楽器だが、あれこれ色々手を出してしまっている。
また、僕はプログラミングについても仕事や個人的な興味、ライブ活動で、ウェブ系から映像・音響系まで色々手を出している。
そして、デザインについても、もっと色々実験したり、色んなものをデザインしてみたい、と考えている。

やれること、やりたいことを箇条書きにすると、

・デザイン (グラフィックからウェブまで)
・プログラミング (ウェブから映像まで)
・楽器 (ギター、シンセ、その他変則的なこと)
・映像 (プログラム系)

といった感じだ。
仕事の上では、色々できますよ、というのをウリにしているが、
一つの時間でこれらのことについて知識を深めたり技術を高めることは
物理的に無理だ。

それぞれは、少しずつ繋がっているし、
それぞれ進めて行けば良いという考えもあるが、
それぞれ上手くやれるようになりたいと欲張っていると、
さすがに難しいと感じることがある。
今はそれでも続けているし、
これでいいのだと思ってやってきているが、
これでよいのだろうかと思うこともある。

自由だからこそ、自分の現在地と目的地をちゃんと把握しなければならない。
いくつものワラジを履くならば、それなりのビジョンを持っていなければ、そのワラジはゴミと化す。
大事なのはビジョンと、ビジョンを実現するための情報、そして技術。

あとは欲望だろうか。
欲望は燃料だ。
欲望がなければどこにも行けない。

最近仕事が一段落ついて、時間があるのだが、時間の使い方に少し悩む。
ビジョンがはっきりしていないのだと思う。
やりたいことはたくさんあるが、どれをやるかということと、他にもっとやりたいと思えることがないかを考えたりする。
ついつい、簡単にできてしまう「やりたいこと」をやってしまいがちだ。
今は、自分が進む方向は、だいたいアッチという感じで進んでいる。
だいたいアッチなのか、未完成の地図上のある点を目指すのか、
考えながら進むことになる。

気分や勢いに従うのもときには良いのかもしれないが、
そうするとついついラクな選択肢を選んでしまう気がする。
自分にとっての優先事項は何か、
プライオリティもちゃんと考えたほうがいい気がしてきた。