頭の中にあることを言葉にする。
みんながやっていることだ。
考えていることをメモによくとるけれど、
感じていることもメモにとっていくといいかもしれない。
僕は今まで、そっちをちゃんとやれていなかったかもしれない。
考えることと、感じることは、違うことなんじゃないかなと、
今、この文章を書きながら思いました。
感じたことを元に考えたことには、
どこか説得力というか、強さというか、凄みというか、
そういうものがあるんじゃないかと思う。
好き、嫌いとか、気持ちいい、気持ち悪いとか。
桜の花が咲く直前のググーッと力をためてる感じと
花が咲ききって少しずつ強い風で花びらが飛んでいくときの
パラパラした感じの違い、
夜が明けていくときの空の色と空気のスーッとした気持ちよさ、
さびた鉄棒を握った後の手の匂い、
何でもいいんだけれど。
今ここに言葉で書いたことは、
言葉に書く前の感覚がある。
その感覚に言葉を与えることで、
その感覚に意識的になれる。
ある感覚に意識的になると
それを楽しむことができるようになるし、
それを元にまた別のことが考えられるようになる。
感じることと、思考というものが、
別だと認識すると
なんだか少しだけスッキリする。
ノートや、ブログに、頭の中にあることを書き出すとき、
それが、感じたことなのか、考えたことなのか、
文字にしてしまうとどちらも混ざってしまうので、
両方「頭の中にあるもの」と認識してきたけど、
それを「感じたこと」と、「考えたこと」に
分けて認識すると面白そうだ。
感じることは、素材みたいだ。
よく分からないものの塊の世界から、何かを見つけてもぎりとる感じ。
考えることは、そのもぎりとった素材をもとに何かを組み立てることだ。
素材は大事だ。
素材は良質なものがたくさん欲しいね。
甘い素材、苦い素材、すっぱい素材、ザラザラした素材、
いろいろと。
世界を言葉やイメージでもぎとって、
それを組み立てる。
このルールに従って考えると、
今回の場合、
感じることと考えることは別だと、感じたということになる。
あれ、ちょっとややこしい?(笑
そういえば、数ヶ月前、誰かさんが
「言葉で考えていることよりも、心で感じていることの方が先にある」
みたいなことを言っていたのを思い出した。
木曜日~土曜日まで、石川県にサーベイしに行きます。
半分は金沢です。
僕の脳の中で、
石川県と金沢を結びつけるのに、
まだ0.8秒ぐらいかかります。
旅行といわず、サーベイと書いたのは、
正月にひいたおみくじに、
「旅 よろしからず」とあったから。
大吉なのに、よろしからず、があるなんて、
本当に大吉なのか?なんて思ったり。
良くもないけど悪くもない、
と思えば、旅行と行ってしまってもいいのだけど。
だったら、旅行じゃなくて、サーベイにして、
学問分野の運を使った方が得だな、
ということで、サーベイ。
おみくじとか、占いなんて、気にしない!
というほどの精神力は僕にはありません。
気になってしまいます(笑)
金沢に行ってきます、というと、
21世紀美術館?
と聞かれます。
もちろんそこも見に行く予定ですが、
あんまり予備知識なかったりします。
佐藤卓
しか頭に思い浮かばなかったり。
いや、ちょっとは勉強したけどね。
プールのやつとか。
まだ何が凄いのか理解できていません。
行って考えます。
期待していない兼六園に期待したり。
期待している海鮮丼に期待しています。
茶屋街も楽しみです。
金沢は色々面白そうです。
また行きたいです。
まだ行ってなけど(笑)
観光名所は、それはそれで見ごたえがあるのですが、
街そのものの雰囲気とか、わりと日本全国似たり寄ったりなようで
微妙に違う、その雰囲気を味わうのも好きです。
広島は川が多い。三角州の街。路面電車がかっこいい。
福岡の地下街はでかい。
街もでかいし、近代的というか、新しくて大きい建物が多かった。
長崎は海と山。神戸よりも起伏が激しい。
ここも路面電車がかっこいい。
路面電車は、なんであんなにかっこいいんだろうか。
あの小さくまとまった車体と、
石畳に敷かれたレールがそう思わせるのだろうか。
神戸は港町。僕の育った、僕の好きな町。
さて、
金沢に行く前に仕事をやらないと。
追伸
前回書いた、確定申告は終りました。
3年目にしてようやく慣れてきました。
言の葉と書いて、コトバ。
千の葉とかいて、チバ。
3段落ちは思いつかず。。。
そんな早朝。
言葉には力がある。
だからこそ、言葉の使い方は気をつけたい。
5W1Hで論理的に、とかは言いたくない。
そういうものは自分の感覚やリズムに従うのがいいんだ。
とか言っていたい。
「それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。」
という、朝日新聞のコピーがあったけど、
気持ちの悪い言葉だと思った。
確かに、言葉にはチカラがあるでしょう。
ときには、言葉のチカラで、人を殺すことだってできてしまう。
人を怒らせてしまうことだってある。
だからこそ、気をつけなきゃね。
ってことじゃないのか。
うまく言葉を紡げるようになれたらいいと思う。
そのためには、
永遠の謎であり、世界一謎な存在である、自分を知り、
永遠の謎であり、世界一謎な存在である、相手を理解しようと、
つとめないといけないみたい。
そもそも、言葉を知っていなければいけない。
ボキャブラリーや、テクニックというやつ。
こういうのはとても重要だと思う。
言葉を使うとき、いつも頭を使う。
自分の感覚や、その場にいる人の感覚に意識的でありたい。
言葉をうまく使えると、自分の気持ちがとてもよくなる。
気持ちが言葉を生み出すこともあれば、
言葉が気持ちを生み出すこともあるんじゃないか。
ところで、
村上龍の「すべての男は消耗品である」というシリーズの本に、
「明日できることは今日はしない」
という副題が付いているものがあるんだけれど、
その言葉は僕にとても影響を与えているみたい。
確定申告、まだしてません。
今日こそやりますよ。やります。やります。
と思いつつ、夜も更けて、朝日が昇って参りました。
グッドモーニング
新千葉
新しい千の葉とかいて、シンチバ。
もうすぐ春ですな。
3/1(土) 20:00~
新宿 PIT INN
羽野昌二氏と、ベルリンのギターモンク・オラフ ラップ氏のイベントにて、Karappoで映像をやります。 以前、羽野さんのドラム用に作ったドラミングをヴィジュアライズするシステムを使うか、まったく別に何か作るかは未定ですが、まだ東京(またはネット上)でお披露目したことのないシステムにはなると思うので、それなりに新鮮なものが見せられるかと思います。名古屋からは、ぼいんこいんのぼいんが参加するそうで、こちらも楽しみです。PIT INNでやれるのが楽しみです。 週末に、ぜひお越しを!すばらしい演奏が聴けると思います。
仕事の隙間を見つけたので、今日は自分の健康のために自炊しました。
クリームシチューを作りました。
簡単だけど、作るのに時間がかかる。
けど、大量生産ができる。そこがシチューの良いところ。
で、
ブロッコリーを買いました。
アメリカ産のブロッコリーが、150円ぐらい
埼玉県産のブロッコリーが、200円ぐらい
でした。
今までは、国産のが250円ぐらいだったので、
アメリカ産ばっかり買ってたのですが、
いつもよりちょっと安かったので、国産をチョイス。
何故、国産の方が高いのかというと、作るうえでのコストが国産の方が高いから?
小さい農園で作ってるから、1個当たりのコストが高い?
どうなんでしょうね。
僕は環境に優しい選択ができたんでしょうかね?
優しいような気がするというのはあるけれど、
本当のところは分からない。
環境がどうのこうのと、
色々、新商品やら、運動やら、ありますが、
どこまでそれを信じていいのか、いつも悩みます。
僕が今使っているエネループたちは本当に環境に良いのだろうか?
なんとなく良さそうだけど、どうなんだろうか?
そもそも、環境に良いというのは、CO2の排出量や、ゴミの排出量だけで考えて良いのか?
再生紙とか、この前ボロが出てたけど、結局、再生紙を作ると普通に紙を作るよりも、
化石燃料を大量に消費すると本で読んだことがあります。(リサイクル幻想という本で)世界の森林が大量に減っているのは、紙を作るせいではなく、焼き畑農業なんかをやるせいだと書いてあったように思います。
地球環境にもし配慮するなら、先進国の都市に住む人間は死んだほうがいいんだと思う。
僕が死ねば、だいぶCO2削減できます。
死にたくないから死なないけどね。
情報があふれかえっているときは、
どの情報の信憑性が最も高いのかを上手に判断しないとダメだ。
難しいけどね。
結局最後は、信じるか信じないかですな。
どれが最も真実らしいか。
どの情報を信じるのか、
というのは、それを分析する過程においては科学でもあるが、
最終的に何を信じるかという段においては、それは宗教に近い。
宗教がダメというわけでは決してないけどね。
あまり人に迷惑をかけずに生きて生きたい。
誰かに迷惑をかけて嫌がれるぐらいなら、
誰かに感謝されるようなことをしたい、
というのが、環境への配慮の根元にあるのだろうか。
環境への配慮、地球に優しい、というのを聞くたびに、
「あいつらは、全員、偽善者だ!」とか言う人もいるけど、
あれは危険な発言だなと、よく思います。
偽善を指摘するのは、かなりの覚悟が必要だと思う。
まるで自分が全てを知っているかのような発言。
ああならないように注意したい。
真実は誰にも分からないのだと思う。
真実っぽいことしか分からない。
真実の中身はからっぽなんだと思う。